神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

拝啓 壽岳文章様ーー菊地暁「拝啓 新村出様」を読んでーー

菊地暁先生が『国立歴史民俗博物館研究報告』165集(2011年3月)に発表した「拝啓 新村出様ーー柳田国男書簡からみる民俗学史断章ーー」。だいぶ前にいただきましたが、ありがとうございます。面白いので何度も読み返している。菊地論文を読んで幾つか気付いたことのメモ。
・主に新村出記念財団重山文庫蔵の新村宛柳田国男書簡を用いているが、同財団のホームページ中の「新村出宛書簡発信者一覧」を見ると、壽岳文章・章子の書簡も所蔵している。*印が付されており、「封書、葉書、絵葉書の別に、かつ発信年月日順に整理されている」そうだ。壽岳の研究者は既に調査されているだろうか。また、この一覧を見ると、図書館関係者や出版人も多数出てくる。姉崎正治天野敬太郎石田幹之助、伊藤祷一、伊藤長蔵、稲村徹元*1犬丸秀雄、今井貫一、今澤慈海植松安、臼井喜之介、岡茂雄、荻山秀雄*2、奥田啓市、小野則秋、金尾種次郎、川瀬一馬斎藤昌三、竹之内静雄、富永牧太中井正一中田邦造長澤規矩也長谷川巳之吉*3間宮不二雄宮武外骨毛利宮彦八木敏夫弥吉光長和田万吉らの名前がある。その他、浅野和三郎荒木伊兵衛生島遼一岡正雄恩地孝四郎、川守田英二、小谷方明、小牧實繁、澤田四郎作、鹿田静七、園頼三、田中緑紅、九十九豊勝、鳥居龍蔵、日夏耿之助、平井功富士正晴、ポンソンビ・リチャド、丸山薫水野葉舟、若林正治なども。宝の山ですな。
大阪市立大学新村文庫所蔵書に貼り込まれた柳田の書簡も使用している。『大阪市立大学附属図書館所蔵新村文庫目録』を見ると、同文庫は壽岳の『書誌学とは何か』と『ヰルヤム・ブレイク書誌』を所蔵している。どちらも、ぐろりあそさえての発行である。これらに壽岳の書簡が貼り込まれている可能性がある。なお、昭和4年11月17日付け柳田書簡中に「薩道先生景仰録ハ拝見仕りまだ伊藤君へも御礼申出ず候がよき企てと存候」とあり、柳田は新村の『薩道先生景仰録』を刊行したぐろりあそさえて社主の伊藤に言及している。
・菊地論文で未詳又は生没年未詳とされている人物のうち、
筧五百里*4は、明治29年6月生、香川県出身。東大国文大正12年卒、元岐阜大学学芸学部教授、昭和50年12月29日没(『国語年鑑』昭和29年版、読売新聞昭和50年12月30日朝刊)
大岡保三*5は、明治20年千葉市生、44年東大文科卒、大正3年同大学院卒、8年文部省嘱託、10年図書監督官、国語調査官等を経て昭和20年千葉師範校長、24年千葉大学附属図書館長(『大衆人事録』16版)。『国語年鑑』には前年の物故者が載るので軒並み当たれば没年が判るかも。
倉野は倉野憲司か。明治35年3月9日生、福岡県出身。大正15年東大国文卒、元東京女子大学教授、平成3年2月28日没(『昭和十六年十月一日現在文部省職員録』、『新訂増補人物レファレンス事典 明治・大正・昭和(戦前)篇2』、『国語年鑑』昭和29年版)
吉田は吉田澄夫か。明治35年6月生、新潟県出身。大正15年東大国文卒、埼玉大・武蔵野女子大各名誉教授、昭和62年2月26日没(『昭和十六年十月一日現在文部省職員録』、『国語年鑑』昭和29年版、『東京帝国大学卒業生氏名録[昭和八年三月末現在]』、朝日新聞昭和62年2月27日朝刊)
阪大の岡島昭浩先生なら他の未詳とされる人物の経歴も判明できるかもしれない。

*1:一覧では、稲村徹光だが、徹元だろう。

*2:一覧では、萩山秀雄

*3:一覧では、長谷川己之吉

*4:昭和5年10月6日付け柳田書簡に「十一日夕を以て方言協会を開くことに筧君を煩し置」と出てくる。

*5:昭和16年1月5日付け柳田書簡に「文部省に今度国語課が新設せられ 大岡保三氏の下に倉野吉田その他の新進学者が働らくことになりました」と出てくる。