神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

昭和34年西陣におけるカフェーと喫茶店:「全西陣料理飲食業組合組合員名簿」からー


 藤井大丸地下の古本まつりは、7月6日(日)まで開催中。初日にのぞいた後、近くの三密堂書店の100年均一台で『全西陣』(全西陣料理飲食業組合、昭和34年7月)を発見。非売品で、全西陣料理飲食業組合の役員名簿、組合員名簿、組合規約のほか、加盟店、旅館、お茶屋・芸妓組合、食器店、薬店、理容院、酒店、米店、映画館など地域の様々な業種の広告が過半を占める。右上にひもが通されているので、どこかの店の壁にでも吊してあったのだろう。編纂兼発行人は、理事長の野口西造で本書に載るニツセン鉱泉株式会社の広告*1に取締役社長として名前が見える。
 180店程の組合員名簿で注目すべきは、「業別」である。居酒屋、一般飲食、お好焼、カフエー、喫茶、仕出し、すし、酒場、大衆食堂、中華料理、トリスバー、バー、ハイボールバー、洋食、料理屋、麺類などに分類されている。
 カフエーと喫茶を数えると、前者はボレロ、街角、サボイ、キユピー、まつを、天久、千丸会館の7店、後者は千疋屋日栄堂、サンタロー、シスコ、再会*2、エミヤ、冨美家の7店である。昭和34年の段階では、カフェーと喫茶店は同数だったことになる。時代による変遷がわかれば、面白そうである。この中で最も有名なのは、天久と思われる。田中慶一『京都喫茶店クロニクル:古都に薫るコーヒーの系譜』(淡交社、令和4年3月)によれば、昭和61年に閉店し、日本大正村に移築され喫茶店として営業しているという。
 『近代出版研究』第4号(近代出版研究所、令和7年4月)の拙稿「夜の蔵書家が狙う発禁雑誌ー大正・昭和戦前期における「夜の歓楽外ガイド誌」」で活用した『創立十週[ママ]年記念誌:附組合員名簿』(湊川西洋料理酒場喫茶業組合、昭和12年3月)の組合員名簿では、屋号、経営者の氏名、住所、電話番号が載るだけで、業種は記載されていなかった。西陣のようにカフェーや喫茶の区別が載っていれば、もっと使える史料になっただろう。

*1:ニツセン鉱泉株式会社の広告によると、営業種目は、ニツセンサイダー、ニツセンラムネ、ゴールデンジユース、ゴールデンコーヒー、各種清涼嗜好飲料である。

*2:ただし、再会は、洋食・喫茶に分類されている。