神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

昭和6年静岡保線事務所の書記が日記に綴った静岡の日常と事件ー『修養日記:新渡戸博士一日一訓』(鉄道青年会出版部)ー


 大澤綯子『「修養」の日本近代:自分磨きの150年をたどる』(NHK出版、令和4年8月)の第3章は「働く青年と処世術ー新渡戸稲造と『実業之日本』」。新渡戸の『一日一言』(実業之日本社、大正4年1月)への言及がある。

毎日決めたことはどんなに小さいことでもいいから必ず実効するとか、寝る前に五分でもいいから一日を省みて瞑想するといった、少し心がければ誰でもできそうな実践法を説き、その日その日の教訓や格言をまとめた『一日一言』も出版された。ここで圧倒的に多く引用されたのは日本人だった。伊藤仁斎に熊沢蕃山、一休和尚に沢庵和尚、北条時頼伊達政宗明治天皇昭憲皇太后のことばや和歌まで並ぶ。イエスをはじめとする外国人からの引用はごくわずかだ。

 日本人と外国人からの引用数については、『新渡戸稲造全集第8巻』(教文館、昭和45年3月)の解説(小林善彦)によると、日本人が116名、外国人が12名である。残りは無記名の引用や新渡戸自身の文章ということになる。この一日一言を日記帳の各日に転載したら役に立ちそうというのは誰でも思い付くだろう。
 それを実際に発行したのが鉄道青年会出版部による『修養日記:新渡戸稲造一日一訓*1』である。
 先日平安蚤の市でこの昭和6年版(昭和5年11月初版・同年12月4版)を入手したので、紹介しておこう。清水や用宗といった静岡県の地名が散見され、静岡に住んでいる人の日記だろうと清水育ちの私には懐かしくて買ってしまった。破格の1,000円。
 本書の「日記の使ひ方」には、「上欄の新渡戸博士の修養言は、毎朝起きて顔を洗つたら、食卓に就く前に二三回熟読玩味したい」とある。1月1日の頁を見本として挙げておく。

 ネットで読める三上敦史「鉄道省勤務の若年労働者の学びと教育情報ー『鉄道青年』の分析を手がかりにー」(『愛知教育大学研究報告55(教育科学編)』平成18年3月)によれば、鉄道青年会は鉄道勤務の若年労働者の修養を目的とする団体で、明治41年12月発会式が行われた。東京基督教青年会宗教部主任だった益富政助が主唱し、発起人代表に江原素六(初代会長)、新渡戸(顧問、のち第2代会長)、大隈重信(顧問)らを迎えた。なるほど、新渡戸は発行所の関係者だったわけである。
 会員数は3万人程で、全員が『修養日記』を買ったわけではないだろうが、相当売れたことは昭和6年版がすぐに4版に達したことからも推測できる。
 昭和6年版を宮城県図書館が所蔵している*2ほか、「日本の古本屋」の出品記録によれば永楽屋が昭和17年版(昭和16年10月)を出品して売り切れている。後者は、「中央・上越線機関士27才の日記」と説明がある。
 私が入手した日記の筆者は、記載内容から鉄道省名古屋鉄道局静岡保線事務所に勤務する書記だったと思われる。普段は静岡市内に住み、実家のある掛川には度々帰っている。麻雀好きで週の半分はやっていたような感じで、読書を全然してなかったらしく書名がまったく出てこないのは物足りない。映画やレコードを楽しむ記述を引用しよう。

二月六日〔金〕
(略)
夜雨も上ったので夜歌舞伎座にトーキーを見に行つた
(略)
五月十九日〔火〕
(略)七間町に出る[。]「スミヤ」に行きレコードをきく
(略)

 スミヤ(正しくは、すみや)、懐かしい。戸田書店清水本店の近くにもあったと思うが、山口百恵桜田淳子のレコードを買ったなあ。
 仕事についての記載は、しばしば「別に変わりたる事なし」である。「変わりたる事」があった日記の記述を引用しておこう。

四月廿五日〔土〕
(略)
昨夜変電所裏に男ノ轢死アリ
(略)
九月廿七日〔日〕
(略)
十二時二十三分半に「シヤム」皇帝の御乗用列車の警備
(略)
十二月一日〔火〕
(略)
九時八分東行で京都の女学生飛込自殺(静岡ホームニテ)
他別になし
(略)

 次の記述が印象的だった。

三月九日〔月〕
(略)
八時十五分頃電灯消へ静岡市の灯火管制
飛行機飛ぶ すごく勇しく、尊し

 昭和6年の段階*3で、灯火管制というのは意外と早いですね。検索すると、防空演習の一環として以前から行われていたようだ。

*1:「一日一言」ではなく「一日一訓」とした理由は不明。『修養日記』の「日記の使ひ方について」にも「新渡戸先生の『一日一訓』は、その版権所有者たる増田義一先生の特別なる御好志によつて、本日記に編輯することを得た」と表記している。

*2:宮城県図書館OPACでは、扉の表記に依って、『鉄道修養日記』としている。

*3:古い日記帳が使われる場合もしばしばあるが、昭和6年4月25日の条に静岡で開催された全国度量衡大会に関する記述があるので、昭和6年の記述で間違いない。