神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

村上文芽(川村文芽)が明治34年に創刊した美術雑誌『京にしき』ーざっさくプラスの発展に期待ー


 紹介が遅れてしまった。京都女子大学生涯学習講座で7月廣田孝名誉教授が「京都日出新聞から見た明治の美術工芸並びに竹内栖鳳」を開催する。全3回のうち第1回は、「京都日出新聞の記者・村上文芽「塵外雑記」(M36 01 20)を読んでみる」。申込み受付は6月22日で終了している。旧Twitterの方では6月9日に紹介したが、ブログで併せて話題にしようとしていた『京にしき』という文芽が創刊した雑誌が行方不明で時機を逸してしまった。参加の方も迷っているうちに期限が来てしまった。京都日出新聞の後身たる京都新聞が取材しないかなあ(^_^;)
 さて、村上文芽(=川村文芽=川村猪蔵)が明治34年に創刊した美術雑誌『京にしき』がようやく見つかったので、紹介しよう。第1号が明治34年6[ママ]月、第2号が同年11月、第3号が同年12月、第4号が同月発行である。古書鎌田から入手。京都学・歴彩館が第1号~第4号を所蔵しているくらいか。第1号の目次を挙げておく。

 印刷・発行月が明治34年6月になっているが、正しくは同年9月と思われる。というのも、川村文芽「序」は「辛丑九月」付けで、広告の中に9月付けのものがあるからである。明治34年10月10日発行の『國學院雑誌』第7巻第10号の新刊紹介に掲載されていることからも、この推測は裏付けられる。文芽については、「『東壁』(関西文庫協会)の編集委員川村猪蔵は、日出新聞記者だった - 神保町系オタオタ日記」を参照されたい。
 発行所は文芽の住所と同じ京都市上京区東洞院御池南に所在する京にしき発行所である。第2号には、便利堂が作成した小川一真製版の「大谷光尊師写真」「同師和歌懐紙」「大洲鉄然師書翰」の売捌所として京にしき発行所自身の広告が出ている。便利堂は『京にしき』の大売捌所の一つ*1だったので、両者の付き合いは深かったのであろう。
 第1号に「流行の一端」を書いた金子静枝は、文芽と同じく京都日出新聞記者で、第2号以後も毎号寄稿している*2。文芽とは親しかったのだろう。これらの寄稿は、「日出新聞記者金子静枝と意匠倶楽部ーー京都市学校歴史博物館における竹居明男先生の講演への補足ーー - 神保町系オタオタ日記」で言及した京都市学校歴史博物館における竹居明男先生の講演(平成30年5月26日)で配布されたレジュメ記載の略年譜(稿)に記載されていない。もっとも、その後把握されたかもしれない。
 戦前京都で発行された美術雑誌は、『京都府資料目録』(京都府立総合資料館、昭和59年3月)によれば、『京にしき』を含めて8冊*3あるようだ。このうち小林忠編『美術関係雑誌目次総覧:明治・大正・昭和篇』(国書刊行会、平成12年5月)には『京都美術』(『京都美術協会雑誌』の改題)が出ているだけである。これらが「ざっさくプラス」(皓星社)に登載されたら便利であろう。同データベースのパンフに谷口英理氏(国立アートリサーチセンター主任研究員)が推薦文「基礎調査の必須ツール」を書いている。その中で、氏は独立行政法人国立美術館7館に導入されたことや採録雑誌の更なる充実等を期待しておられた*4。戦前期に京都で発行された美術雑誌の目次収録も進むことを期待しておこう。
参考:「並木誠士編『近代京都の美術工芸Ⅱ』(思文閣出版)の岡達也論文に補足ーー『京都図案』(京都図案会雑誌部)改め『図案』(図案協会)ーー - 神保町系オタオタ日記
 
 
 
 

*1:他の大売捌所としては、「夢見る京都の昭和図書館と東枝書店の東枝吉兵衛 - 神保町系オタオタ日記」で言及した東枝律書房がある。

*2:金子静枝は、第2号に「古物と新製」、第3号に「三都の意匠」 、第4号に「図案の審査(図入)」を寄稿している。

*3:他には、「天神さんの古本まつりで新田錦城編『都市と藝術作品集』(マリア画房、昭和14年)ー石崎光瑤《浅春》掲載ー - 神保町系オタオタ日記」で言及した『都市と藝術』などがある。

*4:ちなみに、私も「「ざっさくプラス」で天下を取れ」という推薦文を書いた。