2005-12-08から1日間の記事一覧
ところで、日本学研究所として私に与えられた研究室という のは、それまで精神分析学の研究室だったところなんですよ。 フロイトがやはりナチスの侵入によって亡命したために、そ の研究室が空いて、その部屋が私に当てがわれたわけ。 (中略) ヒトラーが入…
これは戦争中、岡田桑三、林達三、中島健蔵、木村伊兵衛、 原弘氏らを中心として出版していた「フロント」という写真 雑誌−これには私や岩村忍君も顧問として関係していました− の経営面を担当していた山本房次郎さんという方があり、この 山本氏がもと軍の…
話は飛びますが、フォクロアの専門家でなくて、フレイザー の本をよく読んでいた人に、意外な人がいるんです。佐野学 さんが、フレイザーの本をほとんどそろえてもっていました。 当時の丸善の二階の隅にフレイザーの本がどっしりといつも 並んでいて、欲し…
これらの研究会あるいは談話会では、研究報告というより も、採訪報告というような性質のものが多かったですね。 さきにも述べましたが、先生は雑誌への報告寄稿の取捨は きわめてきびしかったのですが、こうした会合での報告で も、生のままの資料を好まれ…
僕は昭和3年の9月まで先生のところにおったのです。もうとて も先生と朝夕、顔を合わせることに堪えられなくなり、先生の方 も僕に我慢ならなくなったことと思います。それで先生に何度か ここを出たいとお願いしたのだが、うんといわない。あるときは、 …