神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

柴野拓美の父と満洲映画協会

山口猛『哀愁の満州映画』に、昭和12年設立された株式会社満洲映画協会の設立経緯が書かれており、その中に映画対策審議会の審議委員や満映の準備委員だった関東軍司令部の柴野為亥知少佐なる人物が出てくる。この柴野少佐は、先日亡くなられた柴野拓美の父親ではなかろうか。

柴野へのインタビュー(『塵も積もれば 宇宙塵40年史』)によると、

柴野 ちょっと込み入った話になりますが、僕が書いた小説を父が読んで、「面白いじゃないか。これはあの男に見せてみよう」って、当時の新東宝という映画会社の専務だった山梨稔という人に見せた。この人は昔、父が満州関東軍の情報関係にいた時に満州映画という会社を設立するのに協力した人です。

とある。柴野少佐は、陸軍士官学校を卒業しているようだ(「http://www.purunus.com/index.php/%E6%9F%B4%E9%87%8E%E7%82%BA%E4%BA%A5%E7%9F%A5」)。

山梨は、『第三版満洲人事録』(昭和15年12月)によると、

山梨稔 満映理事長室参与、華北電影公司(股)監察人[出生]明治三八・一二[学歴]中大法科卒[経歴]昭和二年根津嘉一郎顧問事務所廣瀬重太良氏の門に入る。渡邊治左門事件、星製薬事件、国民新聞事件等処理。昭和八年PCL映画製作所に入社、配給部の設立、東宝映画配給会社の創立を担当し配給部長に就任。十二年五月満映創立準備の為渡満。八月同社創立と同時に初代業務部長に就任、次で総務部長を経て参与となる。

山梨は、甘粕正彦満映理事長就任により、総務部長を更迭された人物のようである。戦後の『人事興信録』によると、妻ふようは津田青楓の次女。世界文庫の社長を務めたりした後、昭和30年新東宝取締役、31年に専務になっている。平成2年12月22日没。