神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

内田樹の父、内田卓爾はあやすーぃ?

内田樹氏の父はその詳しい経歴について、次男の樹にも語らなかったという。後藤正治表現者の航跡』(岩波現代文庫、2009年6月)によると、

父は一九一二(明治四十五)年生まれ。明治最後の人であるが、その詳しい来歴を内田は知らない。語らない父であったからである。
断片的に知ったことは、師範学校を卒業、教員、満鉄を経て戦時中は北京にあって諜報機関の仕事をしていたらしい。

同書には、父の名が書かれていないが、戦後の人事興信録に出てくる。

内田卓爾 うちだたくじ 
明治45年1月22日山形県重松の四男に生る
昭和6年札幌師範卒業、華北交通勤務の後、日本開発機製造に入社
27年総務課長、31年管理課長、32年管理室長、37年三井造船への吸収合併に伴い、同造船日開工場資材部長に就任
妻:昌子 大正15年2月14日生 河合鎰雄二女 福岡高女卒
長男 徹
二男 樹 昭和25年9月30日生

これでは、華北交通勤務と、おそらく戦後のことと思われる日本開発機製造(昭和18年1月長谷川製作所から改称)への入社との間の経歴が不明である。この間に、北京で諜報機関の仕事をしていたということのようだが、いつかオタどんによって、その謎が解明されるであろう、なんちゃって。
なお、内田氏のブログによると、父卓爾は2002年5月12日に亡くなられたようだ。