神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧

もう一人の満鉄調査屋流転ーー『印度資源論』の真の訳者に迫る検印の謎ー

なんか知らんうちに小林昌樹編・解説『満鉄調査部から国会図書館へーー調査屋流転』(金沢文圃閣)なる本が出てた。戦前満鉄の調査マンで戦後国会図書館の調査及び立法考査局長や副館長を務めた枝吉勇の自伝『調査屋流転』と併せて国会図書館職員名簿などの復…

大阪府立中央図書館国際児童文学館で精文館が発行した「幻の児童雑誌『カシコイ』」展開催中

かつて北村宇之松(宇宙)が創立した精文館という出版社が存在した。『日本児童文学大事典』に一応立項されているので、そこから要約すると、 精文館 せいぶんかんしょてん 大正3年北村宇宙が神田神保町1丁目に創業した出版社。奈良生まれの北村が大阪の積善館…

三密堂書店の100円均一台で易者神山五黄の正体を掴むーー宮武外骨の仲人神山五黄とはーー

易学書の専門店である京都の三密堂書店の100円均一台は昔から古本者がよく立ち寄るスポットである。水明洞無き現在、林哲夫画伯や扉野良人氏がいいものを拾ったという場合大抵三密堂だろう。さて、先日藤本一恵『東山五十年』(昭和53年3月)という私家版211頁…

エコール・ド・プラトーンの時代に哥澤芝虎編『哥澤撰』(クラブ化粧品本舗)

知恩寺の古本まつりでキクオ書店の和本300円コーナーから見つけた哥澤芝虎編『哥澤撰』。驚いたことに大正14年3月クラブ化粧品本舗(現クラブコスメチックス)発行なので購入。印刷所は京都市西洞院七条の内外出版株式会社印刷部、65頁。定価の表示はない。 内…

西田幾多郎門下の森本省念と鹿野治助

寸葉会で大量の使用済み官製葉書から発見した1枚。100円。岐阜県の放光寺内の森本省念から京都学派の鹿野治助に宛てた葉書。消印が「12日」しか読めないが、「鹿野治助の日記から見た物語「京都学派」再び」などで紹介した架蔵の鹿野日記昭和22年8月13日の条にエス…

川端康雄先生の講演「ウィリアム・モリスと小野二郎」にオタオタ日記

今日は大阪古書会館の「たにまち月いち即売会」に遅刻。何冊か掘り出し物があったが、それよりも某先生から嬉しい連絡をいただく。5月に世田谷美術館で開催された川端康雄日本女子大学教授の講演「ウィリアム・モリスと小野二郎」で拙ブログの「小野二郎と妻悦子…

『精神界』をリアルタイムに入手していた藤岡作太郎

藤岡作太郎は国文学者として知られているが、その経歴から言って宗教関係者の知己も多かった。村角紀子編『藤岡作太郎「李花亭日記」美術篇』(中央公論美術出版、平成31年3月)の「年譜」及び村角氏の「解説」から一部を抜き出すと、 明治3年7月 加賀国金沢早道町生…

稲岡勝『明治出版史上の金港堂』(皓星社)にならい出版史料を発見

近代文学研究者や出版史研究者、更には明治文化研究者や社史編纂者などにとっても必読書の感がある稲岡先生の著が刊行された。『明治出版史上の金港堂 社史のない出版社「史」の試み』(皓星社)である。今後研究者は、稲岡先生が惜しげも無く披露してくれたトゥ…

『純正真道』に酒井勝軍と荒深道斉の往復書簡

昨日の研究会では結局古本バトルに参加。「検閲」と言うべきところを「事前検閲」と言ったりして、やや冷や汗ものであった。持って行ったのは、既に紹介した『神代文化』(神代文化研究所)、人生創造支部連盟機関雑誌『交響』のほか荒深道斉の『純正真道』4巻5号(…

石丸梧平の人生創造支部連盟機関雑誌『交響』創刊号

今月15日人文研で第19回「仏教と近代」研究会&宗教雑誌ワークショップ第2回「雑誌メディアの近代仏教」開催。今度は出番がないので、気楽に聞けそう。詳しくは、「「仏教と近代」研究会 : 第19回「仏教と近代」研究会&宗教雑誌ワークショップ第2回「雑誌メディア…

戦後も活躍していた及川道子の父及川鼎寿

グーグルブックスの威力は凄いもので、オタどんが自力では到達できなかったであろう文献を示してくれた。クレス出版から復刻版が出ている文部省編『宗教要覧』(光風出版、昭和27年7月)である。ここに昭和26年4月2日現在の教宗系教団の現勢が出ていて、その中…

福田屋書店から門野普光旧蔵の『清澤満之』(観照社)

今年も下鴨の納涼古本まつりが近づいてきた。昨年は福田屋書店の200円均一コーナーが水田紀久先生の旧蔵書を放出して圧巻であった。写真の『清澤満之』(観照社、昭和3年9月)は水田先生とは多分無関係で、「門野普光」の旧蔵書のようだ。 見返しには書き込みが…

古書からたちで買った相馬黒光『滴水録』に「滴水日記」掲載

相馬黒光「滴水日記」昭和18年2月22日の条が載った『女性時代』について「昭和18年河井酔茗主催の文庫会に集まった誌友達 - 神保町系オタオタ日記」で言及した。その後、休店前の古書からたちでおまけしてもらった『滴水録』(相馬安雄、昭和31年2月)に昭和16年か…

女優及川道子の父にしてキリスト教社会主義者の及川鼎寿とシーラ倶楽部

黒岩比佐子さんが亡くなる前、「あと10年生かしてくれれば」と泣いておられたと思う。黒岩さんには執筆予定の作品が幾つかあった。ヘレン・ケラー、婦人記者下山京子である。他にも、「忘れられた美人女優及川道子と堺利彦夫妻」のコメント欄にあるように女優及…

内務省検閲官が残してくれた田多井四郎治・小寺小次郎の『神代文化』(神代文化研究所)

学生時代から酒井勝軍、荒深道斉、鵜沢総明、田多井四郎治といった竹内文献に関わった人達の名前にキャアキャア言っていた。田多井が理事を務め、大湯の環状列石の発掘にも関わった神代文化研究所も当然知っていたが、機関紙『神代文化』は未見であった。と…

初期の『宝石』に結集した詩人達と武田武彦

私は「内田百閒より内田魯庵を大事に思いたい」方だが、百閒の戦前・戦中の日記が慶應義塾大学出版会から出たので、百閒の日記からネタを。中公文庫になった『百鬼園戦後日記』(小澤書店)だが、余りブログのネタに使える記載はなく、原稿の依頼に来る編集者の…

戦時下における内閲の一事例ーー秋田雨雀『山上の少年』の内閲をする上月検閲官ーー

これまで散々『秋田雨雀日記』(未来社)を利用してきた。劇作家のイメージが強く、戦後は共産党に入党しているので敬遠する人も多そうである。しかし、秋田の日記は意外な人物が登場して有用なので、是非とも読んでいただきたい。拙ブログでは例えば次のよう…

彙文堂異聞 京はわが先づ車よりおり立ちて古本あさり日をくらす街

森鴎外は大正6年12月帝室博物館総長兼図書頭となり、以後秋には正倉院曝涼のため奈良を訪問することになる。その節は京都の古本屋、具体的には今もある彙文堂を訪問していた。鴎外の日記によると、 (大正七年十一月) 二十八日。(略)往京都。訪彙文堂。(略) (…