神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

戦時下における内閲の一事例ーー秋田雨雀『山上の少年』の内閲をする上月検閲官ーー

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これまで散々『秋田雨雀日記』(未来社)を利用してきた。劇作家のイメージが強く、戦後は共産党に入党しているので敬遠する人も多そうである。しかし、秋田の日記は意外な人物が登場して有用なので、是非とも読んでいただきたい。拙ブログでは例えば次のようなものがある。

仮性トンデモ本だった『秋田雨雀日記』
稲岡奴之助の娘と散歩する秋田雨雀
知られざる大アジア主義ネットワーク
ポール・ケーラス『仏陀の福音』のもう一人の訳者
忘れられた美人女優及川道子と堺利彦夫妻

惜しむらくは、索引の無いことと、「刊行のことば」に「私事にわたることで重複したようなところを省略した程度」とあるもののまったく記載の無い日が結構あることである。青田寿美先生の「『鴎外全集』第三十五巻日記索引(人名篇)」『森鴎外研究』9号のような人名索引があれば、どれだけ重要な発見ができるか。たとえば、5月23日の京都新聞朝刊で紹介された拓本コレクションの旧蔵者で「東本願寺南方美術調査隊」撮影班の野村直太郎、詳しい経歴は不明とのことだが、同一人物と思われる名が秋田の日記に登場する。これについては、また別途紹介したいと思う。さて、仮に『秋田雨雀日記』に人名索引が存在したとしても、それでも気付かない発見が今回できた。戦時下における内閲の例である。

(昭和十七年)
二月十二日
(略)午前中「金の星社」の奥村定也君が「山上の少年」の校正刷と内閲願いをもって来てくれたので、午前一時ごろ家を出て情報局の傍らの内務省出版検閲課[正しくは検閲課ーー引用者注]へ行く。上月検閲官は議会へ行き、主任も留守なので一課員(多分鎌田氏)に一任して帰った。一週間位で模様が判るはずだ。(略)
(「山上の少年」内閲願い。)
二月二十日
(略)
午後十時すぎ、情報局傍出版検閲課を訪い、上月検閲官に逢い対談した。もと雑司谷に住った人で、友成君たちの友人だった。二十一日旧参謀本部あとに移転するので大変いそがしそうだった。近く通読してくれる約束をしてくれた。
(略)
二月二十六日
(略)今朝「山上の少年」に内検閲のことで情報局を訪うた。今度の情報局はもとの参謀本部のあったところで兵隊さんたちがトラックで荷物を搬んでいた。出版検閲局では上月検閲官に逢うと、とてもいそがしそうだった。室は古典的な立派なものだが、まだ片づかないでいた。「大いそぎで見て、直接出版書肆と連絡をとりますから」というのでよろしく頼んで帰った。
(情報局出版検閲課。)
三月十三日
(略)「金の星」社の「山上の少年」の内閲がおりたというので奥村君が持ってきてくれた。(1)キリスト教の神観について。(2)牢屋、囚人等の二、三の言葉について注意があったので、全部で三、四箇所訂正させられた。
(略)
(著書の内閲の問題。妙な検閲!(略))
三月十四日
(略)昨日「山上の少年」の内閲がおりたので安心した。検閲には妙な機械主義がある。官吏の芸術に対する理解の問題もある。この状態は相当長くつづくものと見なければならない。(略)
(「山上の少年」内閲がおりた。)

引用が長くなったが、内閲の経過が詳細にわかり、秋田の率直な感想も書かれていて貴重なものだろう。
牧義之『伏字の文化史 検閲・文学・出版』(森話社平成26年12月)によると、内閲は法外便宜措置として、大正中期に始まったが、大正14年頃には一般的運用はなされず、昭和2年6月に正式に廃止された。ただし、廃止以後も昭和7年の『日本資本主義講座』(岩波書店)や昭和18年1月1日の『朝日新聞』の例があるという。今回の発見で、もう一つ追加できた。そもそも秋田が内閲を特に依頼したのは、『太陽と花園』(フタバ書院、昭和16年10月)が同年11月に「人生社会に対する諸矛盾を扱い著者の思想運動に対する衝動が感受せらる」(発禁年表)として発禁になったため、次作では内閲を依頼したと思われる。日記には、

(昭和十六年)
十一月十五日
(略)
フタバ書院の唐沢君が来て、「太陽と花園」が子供の読み物として適当でない個所があるというので発売禁止になったことを報告してくれた。やはり人間による禁止と思われる点もあるが、やはり自分の現実に対する認識の弱いことを感じた。静思しろ!しかし、検閲制度の不合理!
(略)
十二月十六日
(略)ひるごろ警視庁の特高第一課の蘆田氏に逢い、その足で四階の検閲課で阿部検閲係に逢い、「太陽と花園」についての意見を求めた。それから内務省出版検閲課に主任を訪い、出版物の内閲を依頼した。内務省では割合に好意を持っていてくれた。個人に対することは問題にしていないということなので一安心した。(略)

とある。『山上の少年』は国会図書館のデジタルコレクションで見られるが、昭和17年4月10日に無事発行された。戦時下に粛々と(?)内閲した上月検閲官は上月景尊と思われる。