神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

女優及川道子の父にしてキリスト教社会主義者の及川鼎寿とシーラ倶楽部

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黒岩比佐子さんが亡くなる前、「あと10年生かしてくれれば」と泣いておられたと思う。黒岩さんには執筆予定の作品が幾つかあった。ヘレン・ケラー、婦人記者下山京子である。他にも、「忘れられた美人女優及川道子と堺利彦夫妻」のコメント欄にあるように女優及川道子の父及川鼎寿にも関心があったようだ。御健在であれば、『パンとペン 社会主義者堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社)の文庫版に増補するか、別に一文を書いておられたかもしれない。
私は平成22年10月『秋田雨雀日記』の昭和6年11月8日の条に及川道子の記述を見つけて、早速ブログにアップしてしまった。しかし、それよりも黒岩さんを驚かす記述が他にあった。

(昭和十二年)
二月二十三日
(略)今夜、数寄屋橋の五合庵(及川道子の妹の店)で金田、大沢の諸君五、六人がぼくを慰むる会を開いてくれた。道子のお父さんもきた。この人は明治三十七、八年ごろのキリスト教的ソーシャリストで、エスペラントを最初にやった人だ。シーラ倶楽部“SHILA”(社会主義人道主義自由主義、アナルヒスト)なぞをやった人で、このころ、早稲田の白柳の「火鞭」なぞの運動と交渉を生じてきたのだ。野生社*1ーー春秋社のトルストイ全集なぞとの関係も興味がある。(略)
(昭和十三年)
十月一日
(略)夕方及川家へいく。父の鼎寿君がとても喜んでくれた。お母さんから道子さんの臨終の話をきいた。「私は正しい人間の生活をして来たから云々・・・」「私一人のためでなく、皆のために祈ってくれ云々・・・」涙が出た。和田君のデス・マスクは立派。
(及川道子の家を訪う。臨終の話をきいて泣かされた。)

鼎寿については、『近代日本社会運動史人物大事典』1巻(日外アソシエーツ)に立項されてはいるが、詳細は不明とされている。要約すると、

及川鼎寿 おいかわ・ていじゅ
生没年不明 
学生時代、片山潜らとキリスト教社会主義の文学雑誌『野の声』を出した。明治38年結成の社会主義的青年文学者の団体火鞭会のメンバー。労働文学で活躍した作家宮地嘉六に影響を与えた人物として知られるが詳細不明。女優及川道子の父。

また、同事典の神田豊穂(春秋社社長)の項には、明治33年頃、鼎寿、岡千代彦、片山潜らと『野の声』を創刊とある。これに加えれば、道子の自伝『いばらの道』(紀元書房、昭和10年3月)によれば、父鼎寿は、青年時代には、
霊南坂教会の青年部で活躍したり、
・呉の海軍工廠で働く職工達のために消費組合の建設に奔走したり、
・地方の農村青年のために『学芸と青年』という雑誌を独力で発行
したという。
一番気になるのは、秋田の日記にある「シーラ倶楽部」である。波勢さん、専門外のようだが何か御存知ないかしら。

*1:正しくは、野声社か。