今月15日人文研で第19回「仏教と近代」研究会&宗教雑誌ワークショップ第2回「雑誌メディアの近代仏教」開催。今度は出番がないので、気楽に聞けそう。詳しくは、「「仏教と近代」研究会 : 第19回「仏教と近代」研究会&宗教雑誌ワークショップ第2回「雑誌メディアの近代仏教」」
吉永進一 趣旨説明
武井謙悟 「仏教雑誌研究の変遷ーー保存・利用・活用ーー」
大澤絢子 「人生論としての親鸞と禅ーー石丸梧平の『人生創造』」
司会 石原和
コメント 赤江達也
第2回宗教雑誌古本バトル
石丸の『人生創造』はわりとよく見る雑誌で、私もどこかに埋もれているが1冊持っていたと思う。石丸は『日本近代文学大事典』から要約すると、
石丸梧平 いしまるごへい
明治19・4・5~昭和44・4・8
小説家、評論家。大阪府生。早大卒業後地方の中学で教鞭をとったが、小説家を志望して第1次大戦後上京。処女作『船場のぼんち』(大8・5)を自費出版し、中央公論編集長滝田樗蔭に認められ文壇にデビュー。続いて『朝日新聞』に『山を降りた親鸞』『吉水の崩壊』を連載、『人間親鸞』(大11・1 蔵経書院)として世に出ると、当時のベストセラーに。大正13年6月個人雑誌『人生創造』を創刊。以後の文筆活動は主としてこれにより、彼一流の宗教的ヒューマニズムに立つ人生論文学論を展開した。
これに加えると、『早稲田大学校友会会員名簿 大正四年十一月調』(早稲田大学校友会、大正4年12月)によれば、「石丸五平」は明治41年高等師範部歴史地理科卒、肩書きは中外日報社文芸主任。
『人生創造』も削除処分を受けていて、『雑誌新聞発行部数事典』(金沢文圃閣)で一時期の発行部数がわかる。
14年163号 昭和12年10月 7500部
3月号 昭和13年3月 7000部
12号 昭和14年12月 8600部
194号 昭和15年2月 4500部
18年5月号 昭和16年5月 1000 部
昭和15年から発行部数が激減したことがうかがえる。削除処分の理由は最初の2回が風俗壊乱、後の3回が安寧秩序紊乱である。前者は大槻憲二の記事の性描写が露骨で引っかかった。
写真をあげたが、以前「日本の古本屋」経由で佐賀の西海洞書店から『人生創造』の支部連盟機関誌『交響』創刊号、16頁を入手。改元に対応できず、大正16年1月発行になっている。目次はご覧のとおりで、あまり面白い内容ではない。その中で「支部消息」に小堀本仁(立正大学内第260支部)が支部員の意見を報告していたのが参考になる。
阿部清徳ーー僕は石丸先生の宗教観が親鸞に偏してゐる所に思想家としての先生の欠点とそして不満とを持つてゐますね。又仏教観などがまだまだ徹底してゐないことはたしかだ。文芸論は徹底してゐますが他はどうしてもものたりなさを感ぜずにはおられない[。]これは止むを得ないであらうが然しあらゆる方面に亘つて全く新しい真に人生主義的態度を取るのがこよない先生の人格を慕ふ点です。
(略)
1行目はおかしな文章になっているが、『人生創造』本誌には石丸に批判的な記事は載らないだろうから、支部連盟の機関誌レベルには率直な意見が掲載されていて貴重と思われる。
(参考)「石丸梧平の『団欒』に「関西文士録」」