神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

西田幾多郎門下の森本省念と鹿野治助

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寸葉会で大量の使用済み官製葉書から発見した1枚。100円。岐阜県の放光寺内の森本省念から京都学派の鹿野治助に宛てた葉書。消印が「12日」しか読めないが、「鹿野治助の日記から見た物語「京都学派」再び」などで紹介した架蔵の鹿野日記昭和22年8月13日の条にエスペラント(?)で「letero de Morimoto.」とあるので、消印は同月12日か。
森本の経歴は、半頭大雅編『禅 森本省念の世界』(春秋社、昭和59年4月)の「森本省念老師略歴」によると、

明治22年1月 大阪市南区心斎橋筋1丁目生
明治44年9月 第三高等学校第一部英文科卒
大正4年7月 京都帝国大学文科西洋哲学科卒
大正8年4月 浄土宗の寺に身を寄せ、寺男同様の生活をしながら、朝夕相国寺僧堂に通参。傍ら、福原隆成師に就き、浄土宗学研究
昭和8年 出家、相国寺僧堂に掛錫
昭和12年10月 僧堂暫暇、引続き通参、傍ら、花園大学で禅学、神宮皇学館大学で東洋倫理を講じる。
昭和20年5月 岐阜県美濃加茂市伊深正眼専門道場掛錫
昭和26年10月 長岡禅塾塾長
昭和59年1月 遷化

西田幾多郎の最初期の弟子から後輩宛の葉書と言うことになる。鹿野と森本が親しかったことは、昭和12年6月11日付け西田の鹿野宛書簡に「年に六回 亡 父母 姉 子供の為に読経御願ひしたいと思ふのですが森本君と御相談下され相国僧堂にお願して置く訳にゆきますまいか」とあることからもわかる。入手した葉書には表裏びっしりと書かれているが、判読できない部分も多い。
・鹿野が『霧隠余光』や『牧牛禅話』の在庫を問い合わせたようで、まだ沢山あると回答
・昨日美濃町の戦死者の遺族のもとへ授戒に行った
・肺病人や戦死者の未亡人を相手にして、無力感を感じたようで、「ココ迄くると田辺先生も鈴木居士も机上空論家」との記述
・鹿野が日本語よりもエスペラントで希臘の古典を翻訳することを切望する
などが書かれているようだ。拙ブログには宗教研究者の読者も多少いるようだから、森本に関心がある人もいるかもしれない。
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