なんか知らんうちに小林昌樹編・解説『満鉄調査部から国会図書館へーー調査屋流転』(金沢文圃閣)なる本が出てた。戦前満鉄の調査マンで戦後国会図書館の調査及び立法考査局長や副館長を務めた枝吉勇の自伝『調査屋流転』と併せて国会図書館職員名簿などの復刻である。小林氏作の「枝吉勇著作年譜」に挙がっていないが、枝吉の「照丸君との因縁」を収録した井上照丸追憶記刊行会編『井上照丸追憶記』(昭和44年4月)は「昭和17年8月シンガポールで交錯したジャワ派遣の大木惇夫と日米交換船の鶴見和子・俊輔」で紹介したところである。井上も満鉄の調査マンで『調査屋流転』には、
この井上君とは不思議な縁で昭和八年東京で知り合ってから、北京、東京(彼は企画院に派遣された)、シンガポール(総軍)そして空襲中の東京と行く先々で一緒になり、戦後も職場も近く時折共に焼酎を味った。
など、何回か出てくる。シンガポール、空襲中及び戦後の出会いについては、井上の日記に出てくるが、ここではシンガポール時代について引用しておこう。
(昭和十七年)
十二月一日 火曜
午後四時半帰宅。五時前、突然枝吉の電話。センバワン飛行場に着いているーーとうとう枝吉が来た。ほんととは思われない彼の声だ。富軍政部二木氏に出迎え方を依頼し、読売岩村氏にカーを借りて飛行場へ行く。枝吉は白髪がふえた。三品頼忠と海野竜眠が一緒、吉田(稲葉四郎の弟)も。こうして満鉄の連中が出て来たーー
(略)富、岡調査部(岡は総軍、富は山下兵団の呼称)合同の歓迎会になった。
(略)
十二月十五日 火曜
(略)押川次長、水谷調査役への短信ーー渡南十ヵ月の苦渋の後に、こうして枝吉等を迎え、満鉄自体がいわば背水の陣といった形で、南方軍政調査の大陸部門をほとんど全部受持っている事実の大きさーーしかも本部はほとんど仮死に近い窮地に陥っている現状*1。感傷的な手紙になって、幾度も書き改む。(略)夜は枝吉と二人、南都ホテルで会食。調査部の事情をくわしく聴く。(略)
(昭和十八年)
一月二十日 水曜
(略)
月のよい夜、枝吉の宿舎を訪ね、”戦争の将来“を語る。こうしてここに在る事実ーー事実は尊重するが、これで見通しある行動が生れるわけでもない。経済調査会以後の歴史も思いあわさる。役人三年、もう好加減に足を洗うべきであろうか。
この昭和17年は重要な年である。小生第四郎(こいけ・だいしろう)訳『印度資源論』(聖紀書房)の真の訳者を小谷汪之『「大東亜戦争」期出版異聞』(岩波書店、平成25年7月)は枝吉とし、書物蔵氏は山川均と荒畑寒村の共訳としている*2が、同書の発行が昭和17年12月10日なのである。書物蔵氏の推測の方が正しそうなので、枝吉は『印度資源論』なんていう本が刊行されたことなど知らずに井上と思い出話や戦局について語っていたことになる。
ところで、小谷氏も書物蔵氏も解き残した謎がある。『印度資源論』に押された検印である。これが解けたら「真の訳者」が判明するかもしれない。小谷氏は「右側の「姓」の部分はなかなか判読しにくいが、左側の「名」の部分には「清」という文字が読み取れる」としている。1字目が姓とは限らないが、蔵書印さんは読めるだろうか。
- 作者: 小谷汪之
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