神保町系オタオタ日記

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稲岡勝『明治出版史上の金港堂』(皓星社)にならい出版史料を発見

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近代文学研究者や出版史研究者、更には明治文化研究者や社史編纂者などにとっても必読書の感がある稲岡先生の著が刊行された。『明治出版史上の金港堂 社史のない出版社「史」の試み』(皓星社)である。今後研究者は、稲岡先生が惜しげも無く披露してくれたトゥールや問題意識を最低限踏まえることが必要になったと言えるだろう。
さて、本書には「金港堂に関連のある図書」として、二葉亭四迷樋口一葉尾崎紅葉幸田露伴、山田美妙などの日記が挙がっている。出版史料としての日記は私も注目していて、「出版史料としての『柏木義円日記』」や「戦時下における内閲の一事例ーー秋田雨雀『山上の少年』の内閲をする上月検閲官ーー - 神保町系オタオタ日記」などで紹介したことがある。今日は、まさしく金港堂の出版史料としての村角紀子編『藤岡作太郎「李花日記」美術篇』(中央公論美術出版平成31年3月)を取り上げてみよう。

(明治卅四年三月)
廿七日 (略)朝金港堂の岩田某[僊太郎]来訪す(略)
(同年九月)
廿九日 (略)尋で教育界[月刊雑誌、金港堂より明治三十四年十一月創刊]の曽根松太郎来訪 原稿の催促す(略)
(明治卅五年一月)
十八日 (略)午后佐々氏(政一、号醒雪、当時金港堂編輯者で雑誌『文芸界』主幹)来訪(略)
卅日(略)午前佐々君来訪 絵画史のことにつき談あり(略)
(同年二月)
十日 (略)午后より南画論をかき始む[評論「南画論」『文芸界』創刊号、三月十五日発行に掲載](略)
(同年六月)
廿日 (略)金港堂に至り佐々兄をとふ 不在、小谷兄に面会しまた主人原[亮一郎、金港堂社主]にあふ 小谷兄に絵画史挿画のことを托して帰る(略)
(同年十二月)
廿三日 (略)絵画史指(ママ)画廿三枚校正して金港堂に送る 中三枚書直し(芳崖像切取りて添やる)(略)
(明治卅六年三月)
七日 (略)印を写して絵画史の表紙とせんとしてこれにかゝりて一日を費す(略)
廿日 (略)テガミ 金港堂より契約書封入
(略)
(同年四月)
四日 (略)
テガミ(略)絵画史校正始て来る
(略)
(同年五月)
十日 (略)
テガミ 金港堂へ 出版届捺印して送る
(略)
十七日 (略)金港堂に至り緒言、目次、索引、挿画等渡し了りこれにて近世絵画史の悉皆を了す 尚佐々氏としばらく談話し四時過帰宅す(略)
(同年六月)
廿四日 (略)午前金港堂より絵画史検印千枚トリに来る(略)
廿八日 (略)佐々兄また来る 絵画史一冊おいて行く[『近世絵画史』奥付には明治三十六年六月二十日発行とあり]
(同年九月)
三日 (略)
金港堂より絵画史初版に対する一三〇円送り来りあり
(略)

[ ]は翻刻者による補注。藤岡著の『近世絵画史』(明治36年6月)を巡るやりとりはもっと記載があるが、省略した。同月24日の条により初版1000部と分かるのが特に貴重だろう。なお、『近世絵画史』の発行の経緯については、村角氏の「解説 藤岡作太郎の絵画史ネットワークーー郷里・帝都・旧都ーー」 で取り上げられており、稲岡先生の「金港堂の七大雑誌と帝国印刷」『出版研究』23号、平成5年3月も参照されている。また、藤岡の日記の原本は石川近代文学館が所蔵しているが、金港堂からの書簡も存在するようだ。

明治出版史上の金港堂 社史のない出版社「史」の試み

明治出版史上の金港堂 社史のない出版社「史」の試み

藤岡作太郎「李花亭日記」(美術篇)

藤岡作太郎「李花亭日記」(美術篇)