今年も無事みやこめっせの古本まつりに行けました。目録の巻頭に井上書店の井上道夫店主の追悼文が載っていて驚きました。略歴を要約すると、
昭和21年4月 今出川通吉田神社鳥居の西側に父小三郎が開業
昭和26年7月 現在地に移転
昭和28年12月 誕生
昭和52年8月 父の後継ぎとして古本屋の道に入る
平成14年6月 京都古書研究会代表に就任(6年間)
令和5年11月 逝去(享年69)
平成29年12月井上書店の店頭に大量の状態の良い内容見本が100円均一で出たことがあった。何回か行って100冊以上買ったと思う。若き日の先代が河原町の新刊書店で貰ったものとの話を聴いた日を懐かしく思い出します。あらためて御冥福をお祈りします。
今回は井上書店で買った『春錦会員名簿:昭和十年版』(京都府立京都第一高等女学校、昭和10年6月)の話をしよう。同書店が古本まつりに参加していた数年前に買ったもので、500円。名簿は数冊出ていたが、旧蔵者(大蜘蛛某)による表紙への書き込みがある本書を選んで購入。普通の人は書き込みがない方を選ぶが、私は旧蔵者の痕跡がある方を選んでしまう。ある種の病気ですね。
「春錦会」は、拝師暢彦『京都府立第一高女と鴨沂高校』(拝師暢彦、平成29年2月)33頁によれば、明治38年5月に設置された在校生徒からなる組織で、後に職員が加わった。名簿を見ると、会長は鈴木博也、特別会員は52人で、その後に正会員として本科第1学年1組が続く。
鈴木の経歴は、『大衆人事録』(帝国秘密探偵社・国勢協会、昭和10年12月11版)によると、京都第一高等女学校長。明治15年11月生で、41年広島高等師範英語科卒、京都帝大文科に学び*1、熊本県第二師範校長を経て、大正14年現職である。校長が会長で、教職員が特別会員ということになる。
生徒の名簿で目を惹くのは、高等科第1学年の「久邇宮恭仁子女王殿下」である。他の生徒はすべてクラス毎に50音順だが、これは1番目に挙がっている。住所は、上京区荒神口東桜木町。久邇宮邸が荒神口にあったのですね。現在は跡地がKKRくに荘になっている。全然知らなかったが、京都の人は皆さん知ってるのかな。そのほか、川喜田、野長瀬、六人部という苗字を見ると、川喜田二郎、野長瀬晩花、六人部暉峰と関係があるのかなと思ってしまう。このうち、川喜田和香は「川喜田家(川喜田二郎・川喜田半泥子の家系図) | 閨閥学」によると、二郎の妹のようだ。
奥付を見ると、印刷人は須磨勘兵衛、印刷所は内外出版印刷株式会社である。そう言えば、『沿革と設備概要:附印刷記要』(内外出版印刷、昭和10年5月)を持っていたはずと、発掘してきた。何でも均一で取りあえず買っておくと、役に立ちますね。製造品目と重役が載る頁を挙げておく。
「沿革」によれば、「京都帝国大学教授諸賢並に有力書肆経営者諸彦の御慫慂により聊か抱負を持し、大正九年四月出版と印刷を業として其創立を見た」とある。また、「当社刊行書目」には、江馬務、岡田道一、小川琢治、土田杏村、成瀬無極、本庄栄治郎、三浦周行、山本宣治ら京大関係者の著書が挙がるほか*2、雑誌として次のようなものが載っている。
「京都帝国大学文科大学(のち文学部)内京都文学会編集の『藝文』ーー『藝文』の卒業論文題目に平田内蔵吉や三浦恒助ーー - 神保町系オタオタ日記」で言及した『藝文』(文学部)や『史林』(文学部)『哲学研究』(文学部)『地球』(理学部)の印刷・発行も任されており、京都帝国大学との深いつながりがうかがえる。内外出版印刷は、高木博志編『近代京都と文化:「伝統」の再構築』(思文閣出版、令和5年8月)の福家崇洋「戦時下の新村出」にも登場していた。新村の名義で昭和8年「ザハロフ『満蒙辞典』の和訳及び補足に基づく満日辞典の編纂」をテーマに外務省の「満蒙文化研究事業助成」に申請がなされ、採用された。成果をまとめた報告書には他日の出版を期すとあり、内外出版印刷の昭和12年2月9日付け見積書(和訳満蒙大辞典上下2冊、各500部)もあるが、現在のところ刊行は確認できていないという。
この内外出版印刷を創立した須磨については、『京都書肆変遷史』(京都府書店商業組合、平成6年11月)に記載がある。それによれば、須磨が明治41年に創業した印刷業弘文社を大正9年4月大谷仁兵衛(帝国地方行政学会)始め多くの出版業者の出資と協力を得て、内外出版に改組した。初代社長には大谷、専務に須磨が就任した。大正15年2代目社長に須磨が就任して、昭和2年内外出版印刷(株)に改称したという。なお、須磨は、稲岡勝監修『出版文化人名事典:江戸から近現代・出版人1600人』(日外アソシエーツ、平成25年6月)にも立項されている。明治3年京都府生まれ、昭和29年没である。参考文献に『須磨勘兵衛の面影』(昭和31年)が挙がっているが、未見。内外出版印刷は戦時中の企業整備により出版業を止めている*3が、こういう帝国日本の学知を支えた出版社・印刷所の存在を忘れてはいけないだろう。