神保町系オタオタ日記

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京都帝国大学文科大学(のち文学部)内京都文学会編集の『藝文』ーー『藝文』の卒業論文題目に平田内蔵吉や三浦恒助ーー

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 明治43年4月京都帝国大学文科大学内の京都文学会の編集による『藝文』が、開成館出版部から創刊された。同会規則第2条には、「本会は哲学史学文学の進歩及び普及を図るを以て目的とす」とある。また、第3条には「本会は京都帝国大学文科大学に関係あるもの及び其紹介による会員を以て組織す」とある。設立時の役員は、

評議員 原勝郎、小川琢治、狩野直喜、谷本富、内藤虎次郎、内田銀蔵、上田敏、桑木厳翼、桑原隲蔵、松本文三郎、松本亦太郎、藤代禎輔、三浦周行、新村出
編集委員 浜田耕作、羽渓了諦、成瀬清、野上俊夫*1
庶務委員 西田直次[ママ]郎、年岡鷹市、小笠原秀実*2

 地元京都の雑誌ということで、京都ではたまに見かける。昨日、三密堂の100円均一台に16年5号(内外出版、大正14年6月)があったので、買ってきた。「大正十四年三月卒業論文題目」が面白い。哲学科哲学専攻に「京都で単純生活社を創設したキリスト者瀧浦文彌の「丹田十字架」ーー『腹を錬る:夜船閑話通解と根本的治病法信仰鍛錬法』と『平田式心療法』からーー - 神保町系オタオタ日記」で言及した平田内蔵吉の「ベルグソンの創造的進化」が出ていた。大正生命主義の時代ですね。その他、哲学科では中井正一(美学美術史専攻)の「芸術上の形式の問題」、柳田謙十郎(選科倫理学専攻)の「社会主義と理想主義」、宮崎市定(東洋史専攻)の「南宋末の宰相賈似道」も出ている。『藝文』の「卒業論文題目」に注目ですね。   
 「「京大光線」の三浦恒助の経歴を明らかにした『洛味』の凄さーー古書クロックワークで発見ーー - 神保町系オタオタ日記」などで言及した三浦恒助(心理学専攻)の卒論も調べてみた。2年6号(金尾文淵堂、明治44年6月)掲載で、

一、単色及其調和の美的鑑賞の実験的研究
二、色の命名に就て

 流石に千里眼ではなかった。ところで、木股知史先生が「余談、雑誌『藝文』の総目次: 表現急行2」で言及していた『藝文』掲載の佐々木某「薬草採り」を、念のため最終号の索引で確認すると、「件名索引」に該当なし、「著者索引」では佐々木又は佐佐木は佐佐木信綱のみ。長田幹彦が「ネオ・ロマティシズムの全作品を通じて僕が今でも一番高く評価しているのは、「芸文」という雑誌に出た佐々木という人の「薬草採り」という作品である」と書いている『藝文』は京都文学会のそれとは無関係と思われる。「ざっさくプラス」でも、それらしい作品は見あたらず。未知の『藝文』が存在するか、誌名も作品名も長田の記憶違いか、難問ですね、これは。