2月5日京都新聞に行司千絵記者が京都国際マンガミュージアムで開催中の「「趣味の王さま」三田平凡寺、令和に復活す!? | 京都国際マンガミュージアム」を紹介していた。早速見てきたが、孫の夏目房之介氏ら遺族が提供した平凡寺の旧蔵書、自作絵葉書やスクラップブックなどが展示されていた。斎藤昌三『変態蒐癖志』(文芸資料研究会、昭和3年)には、平凡寺の我楽他宗の宗員が「三百数十名」とあるのに対し、「否 宗員ハ六百数十人 他に山寺号を独自ニつけたもの加へると千人以上模倣者アリ」と書き込みがあった。荒俣宏館長が企画・プロデュースした「大マンガラクタ」第6回に当たる小展示、3月31日(火)まで。
ところで、平凡寺の遺品が過去市場に出たようで、最近では股旅堂が旧蔵書をまとめて目録に挙げている。実は、私も平凡寺宛絵葉書を平成29年7月大阪切手まつりで入手している。600円。
発信者は、卜鯰と金加(?)の連名。卜鯰は山口昌男『内田魯庵山脈 <失われた日本人>発掘』にも出てくる小西一四三(本名石蔵)である。斎藤と共に大正12年9月『いもづる』創刊時のメンバーで、最終号(昭和16年11月)の編集後記に「小西は祇園で贅沢を尽して死んだ」とあるという。また、芦湖山人「日本近代畸人録ーー箱根趣味塚由来」『グロテスク』昭和4年5月号に、当時45歳、徳島生で、京都にその人ありと知られた友仙染屋、卜鯰爺と号し、「鯰と地震、火事に関する蒐集は現代一二といふべく、手拭の如きもその種類は既に万に近い」とあるようだ。我楽他宗の一員でもあって、斎藤夜居『続愛書家の散歩』(出版ニュース社、昭和59年11月)の「『趣味と平凡』について」によれば、「十四番 久護山卜鯰寺(小西石蔵)鯰」である。
絵葉書の消印が不鮮明で、時期は不明。11月5日京阪電車の車内で書かれたもの。卜鯰寺は金君が来たこと、京阪電車中で石清水八幡の鳥居を眺めつつ書いたことなどを記しているようだ。金の方は、7、8日卜氏と上京すること、是非共一夜遊ばせて頂きたいこと、宿は多分□野氏とする事などを書いている。亡くなられた山口ならもっと情報を引き出して、金が誰か解明できただろうか。
なお、みんな持ってる『昭和前期蒐書家リスト』には、当然小西石蔵が出てくる。恐るべし(*_*)