神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

京都で神九図之会を主宰した年賀状コレクター井上女神(井上未喜知)ーー寸葉会の矢原章さんの師匠ーー

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 戦前「全国乗車券、記乗、駅入場券、内外郵政券、官白、煙草空箱、ねづ[ママ]みに関するもの、其他何んでも紙屑一切」を蒐めていたコレクター井上未喜知(丹頂園女神)については、「「蒐める人」を4500人も蒐めちゃった『昭和前期蒐書家リスト 趣味人・在野研究者・学者4500人』が凄すぎる件 - 神保町系オタオタ日記」で紹介したところである。寸葉会の矢原章さんの師匠と聞いている井上女神と同一人物だろうと推測しておいた。その女神が、橋爪金吉*1『私と年賀状』(同信社、昭和56年11月)*2に出てきた。

 京都にある神九図之会を紹介しておこう。(略)会長の井上女神氏は賀状の収集家であり、特に官葉に詳しい。近畿地方のマスコミは年賀状シーズン(師走と正月)になると、井上さんに登場願って、賀状の興趣を大衆にPRしている(略)
 神九図之会は、文字どおり”紙屑を宝とする”収集家の寄合いなのである。(略)毎月一回の例会は、京阪神の神社仏閣を選んで開かれるが、その盆廻しは面白い(略)自らの不必要な収集品や同志会員に協力のために、収集したものを盆に盛って列座の会員に廻すと、会員は希望の品に収集実費を払って手許に引き取るという趣向である。(略)

 女神の連絡先(中京区西ノ京)は戦前の未喜知の住所(上京区千本北大路)と異なる。しかし、蒐集分野が官白(記念押印した官製葉書)を含む紙屑一切だった井上未喜知と「特に官葉に詳し」く、神九図之会を主宰した井上女神は同一人物だろう。先日久しぶりに寸葉会に参加したので、矢原さんによほど確認しようかと思ったが、遠慮してしまった。
 『蒐寶録:神九図之会二十五周年記念』(神九図之会、平成7年8月)を見つけたので、これも紹介しておこう。女神は大正元年生まれ、蒐集品は「年賀状、暑中見舞」で、他の趣味は「鼠の玩具、紙類」とある。やはり、「ねづ[ママ]みに関するもの」を蒐集していた未喜知と同一人物のようだ
 同書には、中谷作次(新聞文化資料館)や森安正(絵葉書)のような著名な人も出てくる。その他、注目すべき会員を挙げておこう。
・飯田菅次郎(棹水) 明治40年生。蒐集品は「郵趣と年賀状、神九図、本、文房具ほか」。里内文庫の里内勝治郎*3の甥。
・早川進一 昭和19年生。蒐集品は「トピカル切手(本・楽器)、初飛行カバー・郵趣文献」。図書館勤務。本の切手の師匠は、元国会図書館の北川和彦
・久野井聖観 明治42年生。蒐集品は「好色物一切、文献、川柳、小話、民話、木版画、小絵馬」。戦前から三宅吉之助、山本不二男、田中亀文洞、贅六庵、森田乙三洞、九十九豊勝、川崎巨泉らと交流。
 神九図之会は昭和45年8月創立。女神は、25年記念誌の「はしがき」を「堀川病院にて」書いている。30周年を迎えずに、亡くなったのではなかろうか。そして、矢原さんが寸葉会を始めたのは、神九図之会の志を継ぐものではなかったか。矢原さんも、お元気ではあるが昭和15年生まれと御高齢である。神九図之会のその後や寸葉会の経緯について、取材していただきたいものである。なお、女神には『ねんがじょう曼荼羅』(室町書房、昭和61年1月)があるが、未見。

*1:「著書略歴」によると、明治43年三重県津市生。昭和7年官立神戸高等商業学校(現神戸大学)卒。江崎グリコ取締役食品部長・東洋ベアリング販売副社長・洋ベア興発代表取締役・同顧問を歴任

*2:口絵写真に「昭和2年復刊が予定されていた田中緑紅の『郷土趣味』(郷土趣味社) - 神保町系オタオタ日記」で言及した田中緑紅昭和2年の年賀状(井上女神提供)掲載。九十九豊勝宛。ただし、大正2年としてしまっている。

*3:「さぼうる」で夢の古本合戦(その4) - 神保町系オタオタ日記」参照