神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

西宮雅楽多宗のキー・パーソン浅田利一(本名耕一郎)と我楽他宗奈良別院の九十九黄人(本名豊勝)

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 絵葉書を集め始めて数年が経つ。枚数を数えると、使用済み官製葉書を含めて300枚位。ん千枚も持っている誰ぞには、及ばないのう。絵葉書を整理していたら、数年前寸葉さんから200円で買った奈良県生駒郡あやめ池北園の九十九豊勝宛昭和45年の年賀状が目に留まった。発信者が、尼崎市の燕巣庵浅田柳一である。最近磯部敦先生(@a24isobe)がツイートしてくれたお陰で再読した「戦前の西宮で創立された蒐集家ネットワーク「西宮雅楽多宗」 - 神保町系オタオタ日記」に登場する西宮雅楽多宗のメンバーではないか。「燕に因んだもの、木版絵暦」のコレクターであった。ネットで読める山内英正「『西宮雅楽多宗』の人々(一)戦前編ーー趣味人ネットワークの成立・展開」によれば、利一は西宮雅楽多宗のキー・パーソンの一人である。
 更に、利一の本名は耕一郎というが、私が「『日本人形史』の山田徳兵衛から中山香橘宛年賀状(昭和12年)ーー百鈴会の川崎巨泉と中山香橘ーー - 神保町系オタオタ日記」で紹介した昭和11年12月付け川崎巨泉の人魚洞内「百鈴会」から出された第3回百鈴会案内状の宛先(満洲国牡丹江の浅田耕一郎)ではないか。利一は戦前は西宮市に住み、戦後は尼崎市に移転しているが、戦前一時的に満洲にいたのだろう。
 もう一枚、耕一郎宛葉書が出てきた。これまた寸葉さんから400円で購入した昭和11年6月15日付け「のむらや」*1主催の語朗会案内状である。耕一郎の住所は、西宮市である。我楽他宗の本山と別院間の交流は勿論、別院相互や別院と我楽他宗には属さない趣味人グループとの交流も盛んだったようだ。