神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大正4年お札博士フレデリック・スタールが京都府立図書館で見た納札集

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上の絵葉書の中央に写っている外人が誰かわかるだろうか。先日ナンダカアヤシゲな人に見せたら、ズバリと「お札博士スタール」と解答していた。スタール博士は来日中着物を着ていたことで知られるが、この写真では洋服のようだ。私も中央の人物がスタール博士だというのはわかるが、他の人物はわからない。右手後方に1人で立っている髭の人物は坪井正五郎に見えるが、断定できない。『内田魯庵山脈』に「精神の系譜を捏造するーーフレデリック・スタール」を書いた山口昌男ならもっと解明できただろうか。今後とも引き続き調べて行きたい。
さて、スタール博士だが、大正4年11月に京都府立図書館に出現していた。『お札博士の観た東海道』(大日本史図書、大正5年3月)の注目すべき次の一節。

第十八日 十一月二十二日 大津より三條橋まで
(略)
午後のプログラムは悉皆社の方に一任し、第一に図書館へ行つて納札を見た。館長には氏がエールでハーパー博士(Dr.Harper)と研究されてゐた折、御目にかかつたことがあつた。それは一八八九年、今から二十七年前のことであつた。二千四百枚の納札が、十二巻の本になつてゐた。他に九十幾度の印刷を経る錦絵の製作法を図解する本もあつたし、広重の五十三次の原本(一八三四年、天保五年)などもあつた。垂涎禁ずる能はざるものであつた。
(略)

当時の図書館長は湯浅吉郞である。『図書館人物伝ーー図書館を育てた20人の功績と生涯』(日外アソシエーツ、平成19年9月)の高梨章「半月湯浅吉郞、図書館を追われる」によると、湯浅は明治18年同志社を卒業後渡米し、オベリン大学で神学士の称号を得たり、エール大学で哲学博士の学位を受領していた。このエール大学時代の明治22年にスタールと出会っていたようだ。さて、図書館に納札があったというのも驚きだが、現在京都府立京都学・歴彩館に10冊の納札集が存在するようだ。スタールの記録する12巻とは冊数が異なるが、大正4年にスタール博士が見た納札集かもしれない。そうだとすれば、「優秀な」図書館員はしばしば「これは本じゃない」と貴重な史料を処分してしまうらしいが、捨てられずによくぞ残っていたものである。