神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

岩井宏實国立歴史民俗博物館教授と九十九豊勝東洋民俗博物館長


 昨年12月から今年の2月にかけて、静岡県富士山世界遺産センターで「博士の愛した富士山ーフレデリック・スタールと九十九コレクションー」が開催された。九十九豊勝(号黄人)の四男で東洋民俗博物館理事長の九十九弓彦氏による公開講座「父、九十九黄人を語る」も開かれた。「大正4年お札博士フレデリック・スタールが京都府立図書館で見た納札集 - 神保町系オタオタ日記」や「九十九豊勝訳・発行のフレデリック・スタール『絵馬』(東洋民俗博物館、昭和5年) - 神保町系オタオタ日記」などのエントリーを書いたオタどんなので行きたかったが、結局行けなかった。
 弓彦氏や兄(豊勝の三男)の千萬樹は共に関西大学のOBで博物館学課程を履修した。その関係であろうか、弓彦氏は『阡陵』80号(関西大学博物館、令和2年3月)に「東洋民俗博物館の歩み」を寄稿している。これによると、三男の千萬樹(奈良学芸大学教授)が中心となり、次男の不二麿(徳島県庁勤務)らも協力して、昭和28年3月東洋民俗博物館の財団法人化が認可された。そして、

 理事長には三男の九十九千萬樹が就任した。理事は、九十九豊勝の知人であり、千萬樹の恩師の関西大学教授、末永雅雄博士をはじめ、帝塚山短期大学の水木直箭教授、奈良女子大学の三鼓恵藏教授、高田高校の笹谷良造教諭、奈良学芸大学の長屋謙三教授、近畿大学の中前史郎教授、豊勝の妻で相愛女子短期大学の九十九たか教授。監事には、奈良学芸大学の横田利平教授と阿部孫四郎教授。顧問として、京都女子大学江馬務教授、田幡病院長の田幡文夫医学博士、第三高等学校のP.D.パーキンス教授、近鉄の上野克己部長ら各界の人たちに依頼し、承諾された。

 錚々たる名前が並ぶ役員である。豊勝の人的ネットワークが活用されたのだろう。そう言えば、最近平安蚤の市で豊勝宛葉書を数枚買っていたなと引っ張り出してきた内の1枚が写真を挙げた岩井宏實からの年賀状(平成3年)である(もう1枚は、昔寸葉さんから買ったスタール博士が写った絵葉書)。明治27年生まれの豊勝は長生きでこの時は数え98歳で平成10年まで生きた。後に帝塚山大学学長になる岩井は、国立歴史民俗博物館教授であった。岩井と豊勝の関係はよくわからないが、岩井は奈良県生まれで、共通の知人としては澤田四郎作がいた。