書簡集では武者小路実篤の所に分類されているが、武者・里見とん・園池公致連名の大正3年10月12日付け志賀直哉宛書簡がある。
二科会は好きな絵を見に来る為めに又来てもいゝが国民はもう御免だ。(ソ)*[園池公致]
大倉喜八[ママ]の銅像のエだけは見る価がある。石の上にさつきから二三分ゐるがもう冷て来た。之から帰る(ム)*
四人で午後から来□、内三浦は教場もちのことなれば一足先に国民美術より心理学へといそぎゆく。どうもいゝ絵も出来ぬものと見えまする(伊吾)
今日上のであつた人。山内吾八、梅原龍三郎 中澤弘光、コーノスおやじ、平田松堂、川村おばアさんの父サン、図師、二條、十月十二日[武者小路筆]
*引用者注:実際は( )ではなく、□囲み。
二科展覧会には三浦直介、梅原龍三郎、有島生馬、柳敬助らが出品、国民美術協会展覧会には中澤弘光らが出品していた。
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今日は雪もやみ、黒岩さんの講演日和みたい。
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『yomyom』で 、内澤旬子さんの「積ん読」写真、じゃなかった、積んでない本棚の写真を見る。文:南陀楼綾繁、絵:内澤旬子はよくあるが、同一誌にそうでない形でお二人の名前が並ぶのは珍しい。
522は私ではありません。念のため。