再び大蔵公望の日記で世界紅卍字会後援会について見てみる。
昭和13年6月24日 一二時、帰京。直ちに工業クラブにて、遠藤柳作氏主催の世界紅卍字会日本総会の設立協議会に出席。余は取敢ず紅卍字研究会を設立す可き旨主張す。
7月1日 五時、国研*1民族委員会にて大島、小田二氏の紅卍字会の話をきく。
7月8日 二時、工業クラブにて遠藤鉚(ママ)作氏主催の紅卍字会後援会の創立相談会に出席す。
7月22日 二時、工業クラブにて紅卍字後援会発起人会に出席し、定款を可決す。(略)世界紅卍字会後援会理事を受諾す。
12月4日 六時、遠藤柳作氏に招かれ、山水楼にて、北京の林出賢次郎氏を中心として、紅卍会のことに付、相談す。
林出賢次郎(1882-1870)は、東亜同文書院第二期生(波多野養作が同期)で、満洲国大使館一等書記官、皇帝溥儀の通訳などを務めた人物。大蔵の日記で、世界紅卍字会後援会の設立経緯がわかるとは、驚きますね。
(参考)10月22日。紅卍字会については、「http://www.jprss.org/enkaku.html」参照。
満洲のトンデモ人脈が広がっていくのが面白い。そのうち誰ぞのじっちゃんも出てきたりして。
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佐伯先生で思い出した。先日の下鴨の古本祭りで着物姿の女性がちらっと見えて、「もしや、佐伯先生か」と思って、振り返ってみた。ちょうど、こちらの方を向いて、古本をあさっているところで、絣の着物姿のその女性の顔をよく見ると、佐伯先生ではなかったが、若い美人であった。この人も同志社の先生かしらと思ったオタどんでした。知恩寺の古本祭りにも出現しないかすら。
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