神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『時代を駆ける:吉田得子日記1907-1945』(みずのわ出版)に大本教ネタ

女性の日記から学ぶ会編『時代を駆ける:吉田得子日記1907-1945』(みずのわ出版、2012年6月)は続編の戦後編が刊行された。どちらも装幀は林哲夫氏。とりあえず戦前編の方を読んでみると、宗教関係のネタが。

(大正9年)
6月9日(水)晴
(略)業後早くかへり居たりしに父兄と話し居たりし折から妹来り大本教の本を持ち来りくれたり。親の恩をしみじみ思ひて泣きながらかへる。
6月20日(日)半晴
(略)生活改善博覧会*1および太霊堂へ行かれし旦那様暮方かへらる。『主婦之友』発売禁止*2になりたる由。
6月30日(水)晴
(略)大本様祭りてのりとを上ぐ。
7月14日(水)晴
(略)大森書店より書物持ち来り、大本教の本を読む。(略)
(昭和6年)
6月13日(土)晴
(略)夕方、正ちゃんと京都の姉さん[夫関治の兄・益治の妻]ゆくりなくも来らる。心療法*してもらふ。(略)
*編者註:平田式心療法のこと。昭和初期に平田内蔵吉が考案したもので、鍼と灸の刺激を同時に与えることのできる「心両[ママ]器」を使って行う刺激療法『平田式心療法』はベストセラーに。

[ ]内は編者による註記。得子は明治24年岡山県邑久郡本庄村生、42年西大寺高等女学校卒業、45年吉田関治と結婚。大正9年時は邑久尋常小学校勤務。昭和5年夫と吉田ラジオ店開業。大正9年というと大本も太霊道ブイブイ言わせていた時期であるが、日記中の「太霊堂」が太霊道の誤植かは不明。得子の夫関治の経歴についても記載が欲しいところである。ちなみに、太霊道が出てくる日記は、拙ブログの「三村竹清が太霊道ブームに喝!」「ねらわれた学院」「酒井温理と太霊道の時代」「植物学者田代善太郎、霊道をなし得たり」などで紹介したところである。
得子の日記は編者により取捨選択されていて全部は本書に収録されていないが、公開された部分を読む限りは、得子は大本教に深入りしてはいなそうである。と思ったのだが、本書の「吉田得子日記から拾う旅行記録(主なもの)」を見たら、大正9年6月に綾部の大本教本部へ旅行していることがわかった。私にとって大事な箇所が、収録された日記には省略されているなあ。なお、7月21日(土)京大人文研で「新宗教史像を再構築する」第一回公開研究会として「鎮魂帰神法と大本教、再考」が開催されるらしい。→https://jnaseblog.wordpress.com/

*1:ママ。小山静子『家庭の生成と女性の国民化』(勁草書房、平成11年10月)及び『日本社会事業年鑑大正拾年』(大原社会問題研究所出版部、大正10年6月)によれば、「生活改善展覧会」は大正8年11月30日から9年2月1日まで文部省主催により東京教育博物館で開催。その後、愛知県、大阪府愛媛県山口県香川県徳島県熊本県長崎県、福岡県で開催された。

*2:斎藤昌三編『現代筆禍文献大年表』(粋古堂書店、昭和7年11月)によると、『主婦之友』大正9年7月号が「処女の誇を失ふて結婚した女の煩悶」の風俗壊乱により発禁。