神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

木村鷹太郎も真っ青、名古屋国語国文学会の織田善雄

柳田國男関係の論文抜刷をいただいたので、柳田関係のネタを。
竹内文書竹内文献)について柳田へ語る織田善雄という人物が柳田の『炭焼日記』に登場することを最初に言及したのが、大塚英志先生である。わしがその後「柳田國男と「偽史」関係者織田善雄」で織田の経歴を補足した。更にその後拾った『石田元季先生追悼録』(名古屋国語国文学会、昭和19年11月)に織田が書いた面白い文章があったので、紹介しておこう。
本書は、明治10年京都市に生まれ、愛知医科大学予科教授を務め、18年1月9日享年67で亡くなった国文学者石田の追悼録である。織田は「石田元季先生を偲ぶ」の一文を寄せていて、次のように書いている。

私は日本神代の文化を主として研究してゐる者で、目的は「エヂプト文化の前代が日本の神代文化であつた」ことを証明するにあります。いづれ此方面の仕事を石田先生に見て頂かうと考へてゐたのでしたが、最早不可能となつてしまひました。昨年能楽堂でお目にかかつたのが先生に接しました最後となりました。

「エヂプト文化の前代が日本の神代文化であつた」!
日本の神代文化がエジプト文明の起源であるという意味だろうか。そうだとすると、織田が竹内文献に関心を持つのも納得できる。石田がもっと生きていれば、織田の研究の成果を見せられた訳だが、果してどんな感想を述べたであろうか。もっとも、織田の方も、『炭焼日記』によると昭和20年5月には転地先の高浜(現在の愛知県高浜市?)で亡くなっているので、戦局が悪化する中どこまで研究は進んでいただろうか。