神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

スメラ学塾再び


書物奉行氏がスメラ学塾の総括を試みてくれたので、久しぶりにスメラ学塾ネタ。
同塾関係者の唯一の生存者と思われる坂倉ユリの発言が、上坂冬子『愛と反逆の娘たち』(中公文庫、昭和58年3月)に記載されている。

「昭和二十三年五月、岐阜の主人の実家で生まれた末っ子竹之助を抱いて東京に戻った私たちは、有栖川公園の前のN氏のお宅の一部に住むことになりましたの。同じ邸内に原智恵子さんも住んでいました」
(略)
そこで百合は陰のプロデューサーとなり、元千葉県知事加納久朗夫人を会長に立てて「広尾クラブ」という名のサロンを作ったのである。毎日二、三十人の人々が集まってお茶を飲みながら原智恵子のピアノを鑑賞したり、坂西志保のアメリカ情報を聞いたりしたこのクラブは、三十一年目の現在も当時の名前のまま継続されている。


「N氏」とはもちろん仲小路彰のこと(参照:昨年7月3日)。坂倉は、クラブシュメールの再現を夢見て、「広尾クラブ」を創設したか。
坂西志保まで出てきたね。坂西と言えば、神田の三省堂エスカレーターの横壁に「考える人」の写真パネルが出てるね。


本書の元版『伊作とその娘たち』は昭和54年5月鎌倉書房刊行。昭和54年時点で存在していた広尾クラブ、現在も存在するのだろうか。