12 トンデモ・バスター島田春雄がシュメールを斬る!(承前)
「特高月報」の「運動日誌」に、面白い記事があった。
昭和18年9月2日 スメラ学塾に在りては指導者小島威彦の引退以来活動消極的となり主として文化方面運動の活動を行ひつつあるところなるが、東亜文化圏本年七月号誌上に於て「其の実体はユダヤ思想に基くものなり」と誹謗せられ、其の他皇典講究所員島田壽雄等に依り同様誹謗を受けつつあり、今後の活動上相当支障ありとして之等誹謗反駁文書を作成関係方面に配付せり。
「皇典講究所員島田壽雄」とは何者だろう。島田篁村、翰、春雄と連なる学者一族の中には見当たらないようだが・・・
「小島威彦の引退」というのは、小島の回想によれば、「大陸よりの即時撤兵、空軍中心主義、アジアにおけるイギリスの地政治学的拠点の開放、ニューデリーにおける世界講和会議関係を提唱し続けた。ついに昭和17年5月、僕は軍の機密漏洩の名目をもって、尾崎行雄と同時に検挙され」、スメラ関係の活動から身を引いたことを指す。
小島が引退し、島田春雄や島田壽雄による攻撃にも負けず、スメラ学塾は、昭和19年2月の解散まで存続している。終焉の経過も知りたいところであるが、特高月報にも記録はない。