「スメラ民文庫」について、「情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎 - 神保町系オタオタ日記」で紹介したことがある。一方で、スメラ学塾の機関紙として「スメラ文庫」が存在したことになっている(「スメラ学塾の機関紙「スメラ文庫」 - 神保町系オタオタ日記」参照)。この関係がどうなっているのか疑問であった。ところが、例の春日井邦夫『情報と謀略』下巻(国書刊行会、平成26年9月)に記載があった。「スメラ文庫」については、
会員は塾の各種研究会に所属し、毎月所属研究会編集の機関誌「スメラ文庫」および会報の送付を受けた。(略)
「スメラ文庫」は文庫版六〇頁前後の黄色表紙の小冊子で一部一〇銭であった。(略)
「スメラ学塾塾報1」(スメラ文庫附録、昭和十六年二月)の「地方会便り」には、このころの地方での会員組織活動の状況が、投稿によって、紹介されている。(略)
また、「スメラ民文庫」については、
(略)塾報的色彩が強かった「スメラ文庫」は、「スメラ民(ルビ:みたみ)文庫」と表題を変え、装いを新たにして三月以降毎月刊行されるようになった。
それは文庫版約六〇頁の小冊子(二〇銭)を五冊まとめて箱に入れ一巻(一円)としたもので、第一巻「賀茂真淵」には他に「林子平」「弟橘媛命」「国政地理」「科学者の自覚」五冊が合わせて一巻となっている。(略)
なるほど、「スメラ民文庫」の前に「スメラ文庫」が機関誌的に存在していたのか。「スメラ文庫」は、国会図書館が『アメリカの苦悶』『吉田松陰』『山崎闇斎』の3冊(昭和16年2月、3月)を所蔵していた。「日本の古本屋」には、中島古書店が「スメラ民文庫」5冊と「スメラ文庫」20冊を一括で出品したが、売り切れている。誰が買うねん。後者の20冊の中には、『青年科学Ⅱ』無削除版と削除版(13・14頁削除)が含まれている。
そこで、小林昌樹君編・解説の『雑誌新聞発行部数事典:昭和戦前期 附.発禁本部数総覧』(金沢文圃閣)を見ると、載ってますね。『青年科学』(スメラ教育研究会編)昭和15年11月16日発行で、処分は同月20日。発行部数は、2,000部だったことが分かる。『発禁年表』によると、「蘭印問題並に支那事変処理に政府及軍部の方策を攻撃」したための処分で、10、13頁削除であった。ただし、中島古書店出品分と微妙に異なるので、別物の可能性はある。いずれにしても、「スメラ文庫」の発行部数が判明した。
気になるのは、春日井氏が言及した「スメラ学塾塾報」である。地方の会員組織活動の要旨が紹介されていて、相武会(横浜市)、名古屋会、神戸会、房総会、横須賀会(静岡県横須賀町)、森浦会(蒲田区)、建武会(品川区)の状況が分かる。たとえば、房総会には昭和16年1月18日本部より吉田三郎が訪問している。この塾報が揃えば、スメラ学塾の特に創立期の状況が詳しく分かりそうだ。