解けないシュメールの最終定理
「情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎」の最終章をアップするまでに、調査不足で結局解けなかった謎のいくつかを報告しておこう。
1 便利堂とクラブシュメール
岩波書店アネックス2階に美術はがきギャラリー京都便利堂をオープンした便利堂。その便利堂とクラブシュメールが、関係あるわけないだろうって?
わしもそう思うのだが、スメラ学塾の小島威彦は、「昭和初期の仲小路彰さん」で次のように回想している。
僕は数日思案の末、改造社から上梓した拙著『世界創造の哲学的序曲』の名に因んで「世界創造社」なる出版会社設立を決意した。美術印刷で有名な便利堂と高級料亭星ケ岡茶寮とを兼営している中村竹四郎に相談して、僕が経営上の全責任を負う条件のもとに便利堂の人的一部を動員し、彼の甥中村伯三を社長として出発した。それが江戸紫の箱に入った『世界興廃大戦史』百巻の全集である。
古本オタクのプライドにかけて調査しようと思ったのだが、某東大のプライドをかけた調査(6月19日の朝日新聞夕刊「なぜ解明できぬ来歴/東大所蔵の「朝鮮王朝実録」」参照)並みに直ぐにズッコケそう(笑)なので、適当な所で切り上げた。
戦犯出版社とも言うべき、「公職追放に関する覚書」の「G項該当言論報道団体」には、小島の深く関わった世界創造社、戦争文化研究所、国民精神文化研究所をはじめ、アルス、欧文社(旺文社)の名前も挙がっているが、便利堂の名はない。
便利堂や中村竹四郎と、クラブシュメール、スメラ学塾の関係を示す物証は見つからないが、世界創造社発行の書籍には、印刷所:大参社(麹町区有楽町一ノ十四)、印刷人:中村伯三(同)とある。
小島の回想に出てくる星岡茶寮は、勿論北大路魯山人の星岡茶寮で、彼の率いる美食倶楽部に、クラブシュメールの怪しい影が・・・と思ってしまうが、魯山人は昭和11年7月には倶楽部を追われているとのことなので、昭和13年頃創立の世界創造社や、昭和15年開講のスメラ学塾とは無関係と思われる。
結局のところ、小島の回想を裏付ける資料は見つからないのであった。
坂倉準三から始まったクラブシュメールの謎解きの旅も、段々出版裏面史みたいになってきたが、やはり、小田光雄氏や、『関西古本探検』の高橋輝次氏、『本が弾丸だったころ』の櫻本富雄氏みたいなプロでないと、調査の限界だなあ。