図書館史の本は、社史の類よりは、読む気にさせるものではあるが、一般的にはつまらないものであろう。
ところが、『慶應義塾図書館史』(昭和47年4月)は笑いながら読める。
同書中の「戦時下の図書館運営」に登場する井上芳郎なるズショカンインは興味深い。
和漢図書分類の準備に入ったのは、読書目録の刊行間近しと思われた昭和三年の頃である。図書目録原稿整理員として臨時に井上芳郎が雇われ、和漢書分類係の楠山の配下についた。(中略)和漢書は洋に比して組みし易しと考えられたのか、臨時雇で行わせる予定であった。ところがその為に雇われた井上芳郎は採用して見ると適材とはいえない。井上は明治二十一年東京に生れ、早稲田大学政治経済科専門部中退、坪内逍遥主宰の文芸協会研究所第二期生として入り、病気で中退、其後は本人談によれば沢正の一座にもいたことがあるという変った経歴の持主なので、到底面密さを必要とする目録編纂などにはむかない。(中略)
二十年二月には井上芳郎が突然死んだ。風呂屋で発病し、九日目に歿った。井上は前述したように、変った履歴の持ち主で、和漢書係に永く籍を置いたが、業務のかたわらというより、本業そっちのけでバビロン・アッシリアの研究をしていた。遅れて勉強する人は人のやらない分野をするに限るというのは、彼の主張である。彼は大言壮語するたちの人なので信用できないという人もあったが、彼の主著「シュメル・バビロン社会史」は戦後再評価され評判になった。
どう、笑えた?
さすがに井上は、クラブシュメールとかとは無関係と思われるけれども、トンデモないズショカンインだったみたいね。
井上の書の「戦後の再評価」は知らないが、戦前の本の中に参考文献として出ていた。
高楠順次郎『知識民族としてのスメル族』(教典出版、昭和19年10月)の序文に、
スメル民族の研究に就ては、医学博士戸上駒之助氏の『日本の民族』(岡書院)大三島宮司三島敦雄氏の『天孫人種六千年の研究史』*1(スメル学会発行)井上芳郎氏の『シュメル、バビロン社会史』*2(啓明会発行)及び余の『亜細亜文化の基調』(萬里閣発行)を参照されたし。
とある。井上の書は、トンデモ本ではない。戦後トンデモ本と評価される戸上や三島の書と並ぶということは、逆に戸上や三島の書は、戦前はトンデモ本と意識されていなかった証拠である。って、当たり前か・・・
高楠順次郎は、『日本仏教人名辞典』によれば、大正・昭和時代の仏教学者。慶応2(1866)年5月〜昭和20年6月。1903年から東京帝国大学梵語学講座を担当。仏教主義教育に傾注し武蔵野女子学院を創立し、東洋大学学長を務めた人物。