3 知的戦士養成機関スメラ学塾(承前)
スメラ学塾については、次のようなことが判明した(原文のカタカナをひらがなに改めた)。
所在地 京橋区銀座西5の5(世界創造社も同じ所在地)
創立 昭和15年5月
性格 参謀本部高島[ママ]大佐、文部省国民精神文化研究所小島威彦等が中心となって「日本世界史建設戦士の養成」を目的として創立せるものなり
目的 スメラ学塾は設立の趣旨に基づき、日本世界史の建設的戦士の団結協力を期し、之が戦士を養成するを目的とす。
役員 塾頭 末次信正海軍大将
講師 市河彦太郎(外務省文化事業部課長)
奥村喜和男(企画院調査官)
志田延義(文部省教学官)
伏見猛弥(文部省国民精神文化研究所員)
吉田三郎(同上)
波多尚(同盟通信外信部長)
小島威彦(文部省国民精神文化研究所員)
組織 塾頭、研究部員、塾員、塾生
研究部は、戦争文化研究部、科学文化研究部、航空文化研究部、女性文化研究部、映画文化研究部、太平洋問題研究部など17部
講座は一週二回、一期二ヶ月、毎期定員三百名
綱領趣意(抜粋) 我が塾は、世界の各領域及び部門に亘り、日本的、世界的原理に依る調査、批判を精密に遂行し、其の全面的革新の指標を明示し、以て全世界の一切の問題、方向に正確なる鮮明を与へ、将に来るべき世界の形態の典型を、其の内容と人材とに於て育成せんことを期する
「日本世界史建設戦士」って、ネーミングとしては、なんかもう一つ。
でも、わすも戦士になる講座の受講をしてみたかったなあ。
さて、ここで登場する奥村喜和男は、佐藤卓己『言論統制』によれば、
奥村喜和男は情報宣伝部門をリードした代表的革新官僚である。東京帝大法学部卒業後、逓信省に入り放送行政を担当し、(中略)。41年には東條英機内閣の情報局次長となり、情報官・鈴木少佐の上司となった。
とある人物だね。読んだ人は、覚えているかなあ?
*「リンク元」をたどっても、プライベートスペースの人が多い。つまらんなあ。わすにも見せて!?