神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎(その4)


3 知的戦士養成機関スメラ学塾


昭和12年9月25日の内閣情報部の設置とともに情報官となった陸軍の高嶋辰彦は、14年3月、陸軍大佐として参謀本部戦史、総力戦研究課長となった後、スメラ学塾の講師や皇戦会の常務理事も務めた人物である(情報官は昭和13年8月30日まで)。


『雪松・高嶋辰彦さんの思い出』(森晴治編)中の「序文的思考−雪松・高嶋辰彦さんの思い出」(町田敬二)によれば、

高嶋くんはこの時期に参謀本部の別働隊として、国民精神文化研究所(小島威彦氏主宰)を動因して、『戦争文化』なる機関誌を出して言論活動をしている。そのために「世界創造社」という出版社もつくった。(例の「皇戦会」ができたのもこの頃である。)そして仲小路彰、小島威彦、清水宣雄、吉田三郎などの若い学者連中を中心に、末次信正海軍大将を塾頭とする『すめら[ママ]学塾』を開設した。この学塾では国民精神文化研究所のメンバーに陸海軍や情報局などの有識者を交えて講習会を開き、一時は塾生三千人と号(?)するほどの盛況を呈した。そのリーダー・シップをとったのがわが高嶋君であった。(中略)
ジャワ作戦に私は第十六軍宣伝班長として、大宅壮一、大木惇夫、浅野 晃などの錚々たる文化人百数十名を率いて出征するのであるが、その時「スメラ学塾」から、前掲の清水宣雄氏をキャップに二十数名の塾生を覆面の”特別青年隊”として、ひそかに従事せしめている。このことは今だから話せる高嶋君との秘密工作であった。


ちなみに、高嶋は昭和16年11月に第十六軍高級参謀となっている。
出版社「世界創造社」なんて出てくると、「あとは小田光雄氏にまかせた」と言いたくなるが、そういうわけにもいかん。
大宅壮一らの文化報道活動って、有名な話みたいで私もどこかで聞いたことがあるが、こんな裏話があるとは知らなんだよ。
いったい、スメラ学塾とはどのような団体だったのか。