神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

海軍省調査課長高木惣吉が語るスメラ学塾


「書物蔵」でわしも見てないスメラ学塾に関する先行文献が紹介されている。
そこで、またまたスメラ学塾ネタの紹介。


松下三鷹が登場する高木惣吉の日記には次のような驚くべき記述がある。

昭和14年1月19日 一.参謀本部第四部ニ国防研究室アリ、高島[辰彦]、池純[池田純久?]、間野[俊夫]、多田[督知]等ノ部員研究シアリ。其ノ外廓機関トシテ青山北町[陸軍大学所在地]ニ分室ヲ設ケ、新進学者十五名ヲ擁シ研究セシメアリ。
二.文部省管下ノ精神文化研究所ニ小島威彦ナル新進学者アレドモ、陸軍の右機関ニ加入シアルガ如ク、藤沢親雄(之ハ金サヘ貰ヘバ何デモヤル、理屈丈デ実行力ナシ)モ思想方面ヲ担当シアルガ如シ。
皇戦会(荒木[貞夫]大将、板垣陸相
高橋中佐 三百万円ヲ集メル。


    7月12日 精神文化研究所ノ小島威彦ヲ呼ビ話ヲ聞ク(出席セズ)。


  15年8月13日 ○九○○海軍省ニ行く。(略)小島威彦氏ノ話ヲ戦略科ニ聞ク。


    9月7日 一二○○三部長長岡少将ト水交社ニ行キ、すめら塾小島威彦氏ト会談。四時過迄話込ム。


    10月23日 一○○○頃小島威彦来訪、例ノ思付式飛躍論ヲヤル。


    12月28日 一二○○スメル社仲小路、小島ヲ嵯峨野ニ招待シ居リシモ、一宮大佐ニ主宰シテ貰ヒ、外務省調査部長高瀬書記官ト赤阪[坂]ニテ会食。 


国防研究室、皇戦会、国民精神文化研究所、高嶋辰彦、間野俊夫については、昨年5月12日参照。池田とか多田は初耳。「新進学者十五名」の中に小島が入るのは確実だが、藤沢も国防研究室、皇戦会に関与していたとは知らなかった。他の新進学者の氏名もぜひ知りたいところ。
高木は、小島には冷ややかな対応をしているみたいだね。


なお、高木は昭和12年10月海軍省臨時調査課長、14年4月調査課長、14年11月海大教官、15年8月軍令部兼海軍省出仕、15年11月調査課長、17年6月舞鎮参謀長。
高嶋は昭和13年9月参本10課(戦史)兼11課長代理、14年5月皇戦会常務理事。
間野は昭和12年11月参本付勤務
池田は昭和12年10月企画院調査官
多田は昭和12年8月参本部員、13年10月兼陸大教官


追記:偶然なのか、松井樹「原節子と九州独立計画 (二大戦前・戦後秘話)」『新潮45』8月号はスメラ学塾ネタ。『文化資源学』(4)の森田朋子論文にも言及している。
この「文化資源学」って、わけのわからない学だが、猫猫先生の奥さんの専攻だね。