啄木の日記にも中村蓊(古峡)が出てきた。
明治42年3月9日 社で中村蓊といふ人と話した。生田森田辻村君らの友人で文学士、予は忘れてゐたが以前二三度逢つたことのある人だ。案外知らぬところに知つた人がゐるものだ。
「社」は朝日新聞社のことで、「生田」は生田長江、「森田」は森田草平、「辻村」は辻村鑑と思われる。皆、一高以来の友人。なお、森洋介氏(曾根博義先生の弟子)の教示によれば、1月11日に言及した実践女子専門学校の主事辻村鑑に当たる。
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う〜、寒い。寒いけど、反町の古書展まで行って、ただ帰ってきてはダメだすよ、そこのキミ*1。石川町まで行って、神奈川近代文学館の「『食道楽』の人 村井弦斎」展(3月2日まで)に行くだすよ。