今年は、新京極通ができて150周年だという。それで、新京極の絵葉書を持っているのを思い出した。冒頭に挙げた写真で、蔵書印さんから5年前に頂いたものである。ありがとうございました。手前のカメラ目線の子どもと左手の「文庫」という看板のある「吉川商店」がまず目に付くところである。更に昨年気付いたが、右手の店に「クラブ洗粉」らしき看板がある。クラブ洗粉は明治39年4月の販売開始なので、それ以降の絵葉書ということになる*1。なお、大手拓次が明治41年にクラブ洗粉を使っていたことについては、「明治41年クラブ洗粉を使う大手拓次ーー8月からクラブコスメチックス文化資料室で「コスメチックス広告 広告にみる大正ロマンと昭和モダン」展ーー - 神保町系オタオタ日記」参照。
この絵葉書は、愛宕郡下鴨村(現京都市左京区下鴨)の長房某から東京市芝区の野田忠廣宛である。消印は、大正2年12月?日か。
「人事興信録データベース」で野田を検索すると、まさかのヒット。慶応3年生まれの静岡県の士族で、医科大学卒業後、鹿児島病院長、四高教授などを経て、大正4年版では内務省衛生局医務課長とある。そう言えば、蔵書印さんが買われたのは静岡市の古書店であった。
よく知られた絵葉書のようで、昨年京都市学校歴史博物館の「京都・開化の風展」でこれの拡大写真パネルが展示されていた。突き当たりの建物は、四条通か夷谷座(六角通)だろうか。調べれば、「クラブ洗粉」の看板を出していた店の名前が分かるかもしれない。