京都文化博物館の「ろうじの古本まつり」で、『ヒコバエ』大正15年3月号(女子大学講義発行所、大正15年3月)を入手。値段が無かったので、ちょうどおられたシルヴァン書房店主に値段を書いてもらい、200円。ライオン歯磨の広告が載っていたのと、表紙に本の背表紙が書かれていたので購入。後者には、背表紙に「女子大学」や「家庭」と書かれているようだ。発行所の「女子大学講義発行所」は、日本女子大学校内に所在。『女子大学講義』は、通信教育用の教科書で明治42年4月創刊。いつから『ヒコバエ』が附録として付いていたのか不明。本講義は11回生用で、「おたより」欄には8回生や10回生からの便りが掲載されているので、現役やOGの通信教育生用の校友会誌なのだろう。日本女子大学図書館にも、昭和5年から7年までのうちの一部しか残っていない。目次を挙げておく。
大手拓次は、『大手拓次全集』5巻(白凰社、昭和46年8月)の年譜によると、大正5年5月ライオン歯磨本舗小林商店広告部に入社、文案係として6月から出店。昭和9年4月南湖院で肺病のため死去。広告部の文案担当者は、2人いたようだ。大正5年10月7日付け和歌雄祖母宛封書には、
(略)文案記者は私と、もう一人帝大法科出がをり候 そして文案は二人の記者によつて作られ、文案主任(中尾といふ)の詳細なる検閲を経て、更に広告部主任(神谷といふ)の手に渡りて後、幹部(主人初め重立つた五六人の人)の批評ありて茲にて掲載さる可き原稿が選択され(略)
とある。また、大正10年4月8日付けM・I子宛封書には、
(略)広告文案の原稿は月に十枚もかけばよいのです。(略)とに角、この店で一番のんきなのは文案(広告文案)をやる私たち二人(私とIといふ人)です。それに加へて私は意匠科兼任ですから、仕事の関係上一層身体上の自由を得てゐます。(略)
とある。入手した号に載っている広告を挙げておこう。
担当が2人いて、広告の内容も詩人拓次らしいものはないので、拓次の文案とは同定できないかな。残念。