神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

昭和6年蘆田止水宅で開催された土俗玩具入札会ーー『和多久志』を11号まで発行した蘆田止水ーー

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 今日から開催予定だった「水の都の古本展」は中止になった。絵葉書を出品するモズブックスは初日の激混みが予想され、別に「絵葉書の小部屋」が用意されていた。おっさんが殺到する「絵葉書の小部屋」で絵葉書をシャカシャカしたかったが、残念である。代わりに、以前モズブックスから入手した蘆田止水から中西竹山宛の葉書を紹介しよう。切手が貼られていないので年不明だが、6月21日(日)正午から止水宅で、「土俗玩具入札会」を開催するという案内である。14日と印刷されているが、手書きで21日に訂正されている。主催は止水で、後援として人魚洞が併記してある。
 人魚洞は、川崎巨泉(本名末吉)の別号である。巨泉が残した全国各地の郷土玩具を描いた自筆写生画帳は、大阪府中之島図書館により「人魚洞文庫データベース:おおさかeコレクション - 大阪府立図書館」として公開されている。中之島図書館にこの入札会の開催日について相談に行けば、喜んで調べてくれるだろう。しかし、取りあえず自分で調べてみた。
 比較的状態がよいので、昭和前期として6月21日が日曜日なるのは、昭和6年、11年、17年である。表面の表題には「郵便はかき」とあり、昭和8年2月に「郵便はがき」に変更されるのでそれ以前ということになる。古い葉書を使った可能性もあるが、昭和6年と推定しておこう。森田俊雄『和のおもちゃ絵・川崎巨泉:明治の浮世絵師とナニワ趣味人の世界』(社会評論社、平成22年5月)の年譜を見たが、入札会についての記載は無かった。ただ、大正14年6月14日に巨泉は蒐集趣味人魚の第1回展観を大阪の書林倶楽部で開催している。この日は日曜日なので、もしも止水の入札会が大正14年開催ということなら、巨泉の展覧会と重なるので日程を変更した可能性もある。
 止水について、森田著から要約しておこう。本名安一(やすかず)で、大正から昭和前期の大阪を代表する趣味家の一人。身辺雑記風の個人誌『和多久志』を大正9年11月創刊。創刊号には、淡島寒月三田平凡寺が寄稿。我楽多宗の四酔山温学寺を称した。入手した葉書には、「四酔山温学寺」の印が押されている。天下茶屋の止水別邸は、「日本、支那、印度、その他各国に渉る土俗玩具等の蒐集を以て堂内に充つ」という。巨泉の義理の弟に当たる。また、止水の実姉の夫である永田好三郎(有翠)も大阪の趣味家である。
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 『和多久志』は、中之島図書館が創刊号から11号(昭和3年8月)まで所蔵。林哲夫氏が10号(昭和2年1月*1)を所蔵し、『書影でたどる関西の出版100:明治・大正・昭和の珍本稀書』(創元社、平成22年10月)で紹介していて、寒月追悼号と分かる。私は、11号を所蔵しているので、目次を挙げておこう。
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 特に終刊についての記載はないが、11号までしか現存は確認できない。「生ひ立ちの記(幼児の巻)」によれば、止水は明治21年4月27日大阪市生まれ。私の好きな日記も載っているので、「日記抄」から引用しておく。

(昭和二年)
  三月四日市(金曜)
 夜七時半より京都鞍馬口で元井三門里先生と出逢ひ新村出博士を訪問した。更紗に関する種々な疑問や議論など出て有益であつた。新村先生の更紗語源に就ての高説を拝聴して十時に辞した。

 本書には、宇崎純一の回顧展が大阪市立中央図書館で開催されるという平成22年4月18日朝日新聞の切り抜きが挟まっていた。そう言えば、表紙絵は純一(すみかず)である。
追記:橋爪金吉『私と年賀状』(同信社、昭和56年11月)によると、戦前の大阪に「木版又は之に準ずる」版画賀状の作品交換会である「賀邦クラブ」があり、その主宰者止水について調べたが、消息も遺族も不明だったという。

*1:奥付は、改元前の大正16年1月