神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

昨年翻刻された西田直二郎日記を読むー西田天香、石神徳門、竹林熊彦ら豪華メンバーが登場ーー

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 京大大学文書館が所蔵する西田直二郎日記の翻刻、入山洋子「<資料紹介>西田直二郎日記(1)」『京都大学大学文書館研究紀要』18号(Kyoto University Research Information Repository: ブラウズ)が発表されて、1年が経つ。すっかり読むのを忘れていたが、ようやく読了。様々な人物が登場して面白いですね。柳田國男(大正2年2月4日)、折口信夫(大正元年11月16日)、荻山秀雄(大正2年10月1日ほか)など、名前だけで詳しい記述がないものも多いけれど、貴重な記録である。
 日記には、京都に住むもう一人の西田、西田天香も出てくる。

(大正八年)
二月十一日 火曜
(略)午後一燈園まで行く。[西田]天香及夫人とも不在。(略)
十月五日 日曜
(略)
一燈園来ル。午後京都ホテルゴルドン夫人[Elizabeth Anna Gordon]を訪問スル通弁ヲ頼マル。行きて夫人に会ふ。種々の談話をなす。
(略)

[ ]内は翻刻者による註

 直二郎は、天香とゴルドン夫人の会談の通訳をしたようだ。「「京大光線」の三浦恒助の経歴を明らかにした『洛味』の凄さーー古書クロックワークで発見ーー - 神保町系オタオタ日記」で言及した大本教の研究者石神徳門も出てきた。

(大正四年)
三月十六日 火曜
(略)石神[徳門]に途にて逢ふ。学校に行く途上なり。欧米の人類学雑誌の購入を諸教授に依頼したるが、石神氏が米田[庄太郎]先生に願はれたるに同研究室の方には金なし。米田先生ハ尚他ニ、ロンドン ロイアル インスチチュート オブ オントコポロジーかよしと云はれたり。又氏云く、西田[幾多郎]先生はフオルクロアか初巻より古本にて出て居るのを幸に購入することを承諾せられたりと云ふ。(略)

 三人目の西田、西田幾多郎も出てきちゃった。鹿児島県出身の石神は、明治44年京都帝国大学文科大学哲学科心理学専攻卒で、当時は大学院で「民族ト宗教意識」を研究していた。後に琉球旅行中に亡くなるらしいが、誰か経歴を調べているかしら。
 京都帝国大学附属図書館に勤務していた竹熊こと竹林熊彦も出てきますよ。

(大正八年)
九月九日 火曜
午前内田先生宅。武林[竹林熊彦]君と共に遺稿ノコト整理。卒業生の追悼会ノコト相談。(略)

 「内田先生」は、この年7月に亡くなった内田銀蔵である。最も興味深かったのは、「京都帝国大学文科大学(のち文学部)内京都文学会編集の『藝文』ーー『藝文』の卒業論文題目に平田内蔵吉や三浦恒助ーー - 神保町系オタオタ日記」で言及した庶務委員をしていた『藝文』の編集に関する記述である。

(大正元年)
十一月九日 土曜
(略)
十一時ヨリ芸文編輯会アリ。小川[琢治]、深田[康算]、藤井[乙男]諸先生及植田[寿蔵]君也。小川先生曰ク、芸文ノ表紙画毎年改ムルコトヲ止メテハ如何ト。之レ経費上ノコトモアルガ、又其表紙ニ内容・目録ヲ記シ得ル便アリ、之レ大ニ芸文ノ店頭ニアルトキ買フ人ガ之レヲ見ルニ便ナラント」[ママ]。
(略)

 翻刻の第2弾には、誰が登場するのか。早く読みたいものである。
追記:『藝文』の表紙は、2年1号,明治44年1月から毎年藤島武二画だったが、5年1号,大正3年1月から目次に変わった。