神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

「京大光線」の三浦恒助の経歴を明らかにした『洛味』の凄さーー古書クロックワークで発見ーー

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 やはり『洛味』(洛味社)は、重要な雑誌ですね。「千里眼事件の最中に「京大光線」を発見した京都帝国大学の学生三浦恒助のその後 - 神保町系オタオタ日記」で言及した「京大光線」を「発見」しちゃった三浦恒助の経歴のうち京都市立美術工芸学校の嘱託教諭は、『洛味』108号,昭和36年7月の記事がきっかけでした*1四天王寺の古本まつりで古書クロックワークから200円。
 江馬務「絵専教壇に立ちし頃(一)」がその記事で、引用しておく。

 わたしが明治四十四年、その頃吉田新一条にあった京都市立絵画専門学校の講師として赴任し、大正十三年に同校を辞任するまでの十幾年は、貴重な体験であった。(略)市立美術工芸学校と四十三年に建った絵画専門学校と併置されていた(略)講師では石神徳門氏(心理学)はかって大本教の研究で有名であったが、琉球の旅行に行方不明になった人であり、また千里眼の研究で有名だった医博三浦恒助氏、中国音韻で学位を取った高畑彦次郎氏らも一時勤めていたこともある。(略)

 ここに三浦の名前を見つけて、驚いたのでした。風俗研究者の江馬と千里眼の三浦というのは、とても想像できない組み合わせですね。おまけに石神徳門というこれまた面白げな先生も発見できた。やはり、『洛味』は凄い雑誌ですね。食の雑誌と勘違いしちゃだめですよ。知恩寺の古本まつりで買い込んだ同誌の中にも別件で驚くべき記事があったので、機会を見て紹介します。
 三浦に関して、若干補足しておこう。明治44年京都帝国大学文科大学哲学科心理学専攻を卒業した時の同期生である。『京都大学文学部卒業生名簿』(京大倶楽部、昭和30年4月)からの写真を挙げておく。
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 前記の石神のほか、奈良国立博物館長の黒田源次の名がある。そして、富田精。「戦前の京都で発行された健康雑誌『かゞやき』と富田精・富田房子夫妻 - 神保町系オタオタ日記」で言及した人物である。富田は、三浦と同じく、哲学科を出た後に京都帝国大学医科大学にも入っていたことになる。拙ブログで扱う人物は、不思議なことに皆繋がってくる……
 三浦は、おそらく生涯「千里眼の三浦」と呼ばれ続けたであろう。黒田や富田が思い出を記録していないだろうか。
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*1:その後、「三浦恒助」でググったらかなり後ろの方に京都市立美術工芸学校の教職員名簿のpdfが出ているのを発見