神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

早稲田大学初代図書館長市島春城と伊藤仁斎の旧宅


 これも噂の南部堂から平安蚤の市で購入した一品。大正8年8月23日付けで、発信者の「春城生」は、大正6年早稲田大学初代図書館長を辞した市島春城(本名謙吉)と思われる。ナンブさんなので安く、500円か1,000円だったか。
 宛名の小田嶋彦太郎は、『早稲田大学図書館紀要』に翻刻が連載された春城の日誌に「小田島彦太郎」として出てくる人物と思われる。同誌40号(平成6年11月)の「翻刻『春城日誌』(一一)」が初登場と思われる。

(明治四三年七月)
廿二日
(略)高橋義彦来訪ニ付、印話を為。義彦、小田島彦太郎(略)を余に紹介す。(略)
二十七日
(略)新発田に在り(略)小田島彦太郎(略)交々来訪(略)

 春城に小田島を紹介した高橋は、吉田東俉の弟である。そういえば、高橋の書簡も出ていたが買わなかった。春城は東伍が大正7年1月22日銚子で亡くなった時に先行して来ていて、翌日高橋と小田島が東京から来て合流している。同誌62号(平成27年3月)の「翻刻『春城日誌』(二八)」から引用する。

(大正七年一月)
二十三日
(略)高橋義彦、小田島彦太郎東京より来着。午後納棺、一同護して銚子駅を五時四十分出発。(略)

 小田島の経歴はよく分からない。日誌明治43年7月27日の条で小田島は新潟県新発田に滞在する春城を訪問しているので、新発田に住んでいたと思われる。星音蔵編『越佐商工人名録』(大坂屋書林、明治31年12月)の「新発田町商工人名」に上荒物商として同名の人物が見える。その後、東京に転居したようである。『図書館雑誌』11号(日本図書館協会明治44年4月)で春城が評議員を務める日本図書館協会に入会したことが分かり、住所は麻布区善防町になっている*1。今回入手した葉書の住所は、青山穏田である。
 葉書の文面は、高野登山を終了し、伊藤仁斎宅を訪ねるため京都へ来たことが書かれているようだ。この仁斎宅を訪問したことは、春城『芸苑一夕話 上』(早稲田大学出発部、大正11年4月)の「伊藤仁斎」に書かれている。葉書と日誌を照合したいが、残念ながら日誌の翻刻大正7年分までしか行われていない。大正8年分の翻刻も是非お願いしたいところである*2

*1:その後、『図書館雑誌』19号(日本図書館協会大正3年1月)に退会者として名がある。

*2:早稲田大学図書館紀要』26号(昭和61年3月)の「翻刻『春城日誌』(一)」に、明治18年から昭和14年まで一時期の分を除きほぼ揃っているが、当面図書館長在任期間に限って翻刻とある。