神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

今年何かと話題になった三密堂書店で見つけた粟野秀穂編『五十四年之回顧』(昭和13年)ーー西田直二郎の友人としての粟野秀穂ーー

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 今年の新語・流行語年間大賞は、「3密」でした。3密が話題になると、三密堂書店も何かと話題になった1年でした。しかし、幸か不幸か、客が押し寄せて3密になるような事態にはならなかったようだ(^_^;)
 今回は、三密堂で見つけた粟野秀穂編『五十四年之回顧』(粟野秀穂、昭和13年10月)を紹介しよう。積ん読本から出てきたので、いつ買ったのか不明。例によって、100円均一台で見つけた一品。国会図書館にもない。大阪市立図書館と愛媛大学図書館が所蔵。
 本書の「自序」によれば、昭和13年7月胃癌のため腫瘍摘出の手術を行った。臥床中に54年の人生を振り返り、行動の記録と執筆目録、併せて300余りの原稿中から7篇を収録して本書を作成したという。粟野はこの年に亡くなっているので、回復はできなかったことになる。本書から、粟野の経歴を要約しておこう。

明治18年8月 青森県生(本籍は宮城県)
明治42年 神宮皇学館本科卒
明治45年 1月 真宗中学教諭となる。谷本文学博士の諭により、文学士浜田耕作、同西田直二郎と共に播磨赤穂郡大避村に児島高徳の墓を調査し1週間に亘り研究
同年 京大文科国史学科[ママ]卒
大正4年 夏に友人西田直二郎が腸チブスで入院のため看護、9月漸く癒える。
大正6年8月 史学地理学同攷会成立
同年10月 雑誌『歴史と地理』(大鎧閣)発刊の約成り、主幹として編纂
大正11年10月 真宗中学依願退職
同年12月 大阪談話会成立(世話人江崎政忠)
大正13年10月 『国民史談』発行*1。史学地理学同攷会幹事脱退
大正14年12月 史蹟踏査会成立し、国史普及会と云う。本部を京都に置き、林与三郎が専ら事に当たる。
昭和3年8月 雑誌『史蹟と古美術』を出版
昭和7年4月 中山太陽堂中山太一の依嘱により同家史家系編纂を引き受ける。
昭和12年10月 東京南陽堂で年来の望なる三十六歌仙画絵巻木版を得る。

 粟野は明治45年7月京都帝国大学文科大学史学科選科国史学専攻卒、西田は明治43年7月同大学史学科(本科)国史学専攻卒。粟野は2年先輩の西田と親しかったようだ。ミネルヴァ日本評伝選から林淳『西田直二郎』が予定されているようだが、この辺りも言及されるだろうか。『史蹟と古美術』(国史普及会)は、粟野の死後も昭和14年11月、21巻5号(通号105号)まで刊行されている。
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*1:正しくは、大正14年11月創刊か。