神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

姉崎正治が創設した三高仏教青年会と中井正一の青春

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百万遍知恩寺の古本まつりで見つけた『会報』26号(三高同窓会、昭和39年)は、菊田太郎「仏教青年会の第二期」が載っているので購入*1。三高仏教青年会は3期に分かれるという。卒業年を補って要約すると、

・第1期
北畠貞顕(明治26年卒)
下間空教(明治34年卒)
朝倉暁端(明治35年卒)
・第2期
三枝樹正道(大正9年卒)
向島諦宜(大正10年卒)
中井正一(大正11年卒)
池田竜潤(大正12年卒)
菊田太郎(大正12年卒)
・第3期
三品彰英(大正14年卒)
妙心寺隣花院の脇坂[光次](昭和2年卒)
宮崎武雄[乗雄](昭和2年卒)
長尾雅人(昭和3年卒)
藤井磧含(昭和4年卒)

三高仏教青年会の詳細は不明だが、磯前順一・深澤英隆編『近代日本における知識人と宗教:姉崎正治の軌跡』(東京堂出版、平成14年3月)によれば、姉崎(明治26年卒)の発起で三高に仏教青年会が結成され、講師として斎藤聞[精]や赤松連城を招き、予科から転じた喜田貞吉(明治26年卒)にも強い影響を与えたという。
そんな三高仏教青年会に中井正一が属していたのか。木下長宏『中井正一:新しい『美学』の試み』(リブロポート、平成7年9月)には、中井と仏教の関係について次のようにあるだけだ。

実家は、浄土真宗の信心篤い家であったらしく、その環境についても、中井正一の仏教的教養の深さの因として、後年の人びとにしきりに指摘されている。そのことと、関係があるのかどうか、三高在学中、中井正一は、一年休学し、摂津富田の常見寺で、そこの「行信教校」に入っている。このことに関してどの伝記をみても、「人生について懊悩した」とあるのみで、いったいどんな内容の懊悩だったか詳しいことは判らない。復学後も仏教系の寮に下宿したが、仏教的環境と因縁は、高等学校のこのあたりまでである。

菊田によると、自分達の時代の「ヌシ」は山内晋卿先生で、例会には龍谷大学の梅原(真隆)師や大谷大学山辺(習学)師を煩わしたこともあるという。また、山口仏教会館の講演には、佐々木月樵(華厳経の善哉[ママ]童子の話)、鈴木大拙(放々[ママ]下著の話)、和田大円を招いた。中井が数え18歳から22歳までの青春時代を過ごした三高における仏教青年会。第1期の北畠は、大正5年から昭和15年まで京都府立図書館長を務めている。また、上記の他には、服部之総(大正11年卒)も会員だったことが知られている。このような錚々たるメンバーを有した三高仏教青年会を調べた人はいるだろうか。
(参考)昭和初期にあった京大三高基督教義研究会については、「京大三高基督教義研究会と『フランダースの犬』最初の訳者日高善一牧師 - 神保町系オタオタ日記」参照

*1:24号,昭和38年8月には、上垣栄次「三高仏教青年会の記録」掲載