神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

昭和14年1月柳田國男と尺八の公開演奏会で出会った満洲国暦法顧問佐藤了翁

臨川書店のバーゲンセールで冨山房国民百科大辞典の禅宗関係原稿を発見 - 神保町系オタオタ日記」で戦前の『国民百科大辞典』(冨山房)の「易」に関する項目を担当した満洲暦法顧問佐藤了翁に言及した。『日本人物情報大系』別巻11-20(満洲編被伝記者索引)には立項されていなかったが、経歴が若干判明したので、報告しておこう。
大正12年8月17日付け読売新聞朝刊によれば、「漢文のかたはら易を見て」いるが、客が来ないので長女が琴曲指南で家計を支えているという。新聞記事になったのは、次女が米の買占めで悪名高かった故増田貫一の息子と家出をしてしまい、佐藤が娘を探しに九州まで行くというものである。53歳とあるので、明治4年生まれということになる。後に、満洲暦法顧問として、『国民百科大辞典』に参加する佐藤だが、大正期にはぱっとしない存在だったようだ。
その後の消息だが、『虚無僧谷狂竹』(稲垣衣白、昭和60年6月)に名前が見える。それによれば、昭和14年1月22日谷狂竹らの普化尺八会の第2回公開演奏清談会に出席している。谷については、ネットの「コトバンク」を見られたい。それに加えれば、大正7年から虚無僧として全国を行脚していたらしい。驚くのは出席者に柳田國男の名前があることだ。藤田徳太郎の名前もあるので、民俗学者の柳田と同定してよいだろう。柳田と藤田は、『柳田国男伝』別冊(三一書房、昭和63年11月)の「柳田国男年譜」に、

(昭和十五年)
九月十六日 民謡談話会(町田嘉章を中心に民謡採集についての会を主催する。前掲『民間伝承』)を開く。兼常清佐、小寺融吉、有馬大五郎ら(柳田千津子、黒田清、藤井清水、藤田徳太郎、筑土鈴寛、橋浦泰雄大藤時彦、倉田一郎も参加した。前掲『民間伝承』)が出席。

とある。
柳田の尺八公開演奏会への参加については、最新の『柳田國男全集』別巻1(筑摩書房平成31年3月)の年譜にも記載されていない。柳田や藤田の他には、横山雪堂、川瀬順輔、石田定山、稲垣束、ロシア音楽の研究者?中島六郎らが出席している。佐藤はその後も出席しているが、柳田や藤田は出席していない。柳田と尺八がどうつながるのかはよく分からないが、満洲暦法顧問の佐藤と柳田の人生は一日だけ交錯したようだ。