神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

知恩寺の古本まつりで折口信夫門下の山川弘至書簡集を

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積ん読だった『山川弘至書簡集』(桃の会、平成3年7月)を読了。twitterの記録によると、4年前に知恩寺の古本まつりで拾ったようだ。三密堂書店出品、200円。山川弘至は折口信夫の門下生で、詳しくはWikipediaなどを見られたい。そこには書かれていないが、昭和19年9月7日付け妻の京子宛書簡中の「略歴」に萩原朔太郎が出てきた。

(略)中河先生(中河与一 引用者注)の紹介により、日本浪漫派の長老にして我国詩壇の高峰たる萩原朔太郎先生の門に入り、生来の志望たる詩を学ぶに至り、進境漸くいちじるしきものあり。このころより藤田徳太郎、浅野晃、中谷孝雄、田中克己丸山薫、神保光太郎、宮崎丈二、衣巻省三樋口清之、横井金男、今泉忠義氏ら文壇及思想界学界の人々を識り、我は皆に感動又折口信夫先生を通じて我国民俗学界の権威柳田国男先生の影響を大いに蒙るに至れり。

山川弘至、朔太郎通信さんは知ってる人かしら。妻の京子もWikipediaを見られたいが、それに加えれば、東京開成館常務取締役田中嘉三郎の娘であった。山川と京子は昭和18日5月31日中河邸で見合いをし、秋に結婚することに決まったが、召集令状が来たため、6月28日中河夫妻の媒酌で、折口、芳賀檀、保田与重郎が出席で挙式。7月3日には出立という、極短期間の新婚生活であった。本書には京子からの書簡が最も多く収録されていて、山川は妻が書き送る詩を楽しみにしていたようだ。19年6月7日付け葉書から。

おはがきありがたう 三好達治氏の詩 はがきをとり出して いつもいつも愛誦してゐます 私は友人が食後などたばこをのんでゐるときなど いつもこの詩を出してよんでゐます やはりうつくしい文学にうゑてゐるのだなあとおもひます(略)それにつけてもおたよりのたびに たれかの作がかいてあるのがのぞましい といふよりも必要品です(略)

残念ながら京子が送った三好の詩が何であったかは不明。
山川は昭和19年9月台北飛行師団司令部附暗号将校となり、ここで台湾のあの人と出会っている。同年10月26日付け父新輔宛葉書。

先日こちらの文壇の最高文学者ともいふべき西川満氏をたづねました 拙著三冊西川氏あてにおくつて下さい

20年1月21日付け京子宛書簡には

詩集の方も牧田氏にさうだんして出して下さい
この方は中河・芳賀両先生に序文をもらふこと 詩のすくないのはやむをえない 西川満氏には跋文をかいてもらひます
本の題名は日本創世叙事詩

京子も國學院で折口に教わっていて、20年9月(正しくは7月か)27日付け書簡には折口が出てくる。

折口信夫先生によろしく(略)
折口信夫著「死者の書」(小説です) 十九年春ころ発行 買へたら手に入れておいてほしい 青磁社刊行です

おそらく山川は恩師の『死者の書』(青磁社、昭和18年9月)を見る機会は無かっただろう。「山川弘至軍事略歴」には次のようにある。

昭和二十年八月十一日 午前十一時頃耐爆壕内で勤務中猛烈なる爆撃により 部下十数名と共に戦死を遂ぐ 数へ年三十才