神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

福来友吉と四国巡礼をした元自由キリスト教会の岩橋三渓

大正4年10月に東京帝国大学を追われた福来友吉は、4年後の大正8年3月から4月にかけて四国巡礼の旅に出た。大正12年の妻と共に出かけた四国巡礼については福来の研究書で言及されるが、なぜかこの大正8年の巡礼については言及されてこなかった。しかし、この時の四国巡礼は福来にとって、重要な旅であった。
『四国巡拝の動機と其の感想』(高野山讃岐別院、大正8年11月)*1によると、

私は、今回の巡拝中、大師様の御蔭で、ジエームス教授の所謂「不可見の実在」てふものを実地に感見させて戴きました。それは「肉眼には見えないけれども、たふとき活きたる霊なるものが実在してゐて、それが私と、始終、平等的に相対して呉れてゐる」といふ最もありがたき宗教的経験なのです。(略)」

このウィリアム・ジェイムズの「不可見の実在」を感じることができた四国巡礼の旅に同行したのが「大阪市駐在布教師」なる岩橋三渓であった。その岩橋の驚くべき経歴が若干判明したので、福来好き(?)の皆様に紹介しておこう。
『六大新報』2361号,昭和27年10月の「岩橋三渓大僧正遷化」に岡山県浅口郡西阿知町医王寺住職の岩橋が80歳で遷化とある。そして、「ヘブライ語の権威者でありユダヤ研究を以て名高く明治天皇に数度拝謁を賜っている」という。ヘブライ語のできる坊さんとは驚異的だが、調べると元はキリスト者であった。
岩橋が『六大新報』891号,大正9年11月の「高野寺の仏教講習会(二)」に次のように書いていた。

拙者が、曽て自由キリスト教徒の一人として、英人リード氏、その他、二三の内外人と協力し、可なりの成績の下に、最も自由なる新神学主義の伝道を試みてゐた当時の事、リ氏と共に高知市における自由派の同輩二三を訪ひ、其の人々と共に「日本に於けるキリスト教の前途」なる一の預言的問題についての評議会を催し、次手に演説会をも開きて、極めて無遠慮に彼の保主[ママ]的キリスト教者なるものゝ頑迷なる信仰ぶりを批難し「日本に於ける今後のキリスト教は、仏教を善意的に了解して、之れと相携へて運動し得るほどの訳の分かつた一派のものでなくては叶はぬ。それには吾が「自由キリスト教会」そのものが最も適当してゐる。(略)キリスト教者は総じて仏教を邪教であるかのやうに視てゐるから困る。仏教は決して邪教でない、立派な教である。(略)」といふ風に、憚る所もなく自家一流の所信を述べた(略)

岩橋は自由キリスト教会に所属していたようだ。そこで、ヘブライ語の知識を得たのだろうか。また、グーグルブックスによれば、本庄繁や真崎甚三郎の日記に登場しているほか、『特高月報』昭和18年7月号に「国際政経学会香川県支部に於ては高松市三越本店に於て同会岡山支部顧問岩橋三渓を講師に招聘」とあるようだ。国際政経学会まで出てくるとは、予想外であった。四国巡礼の後、岩橋は福来とはどの程度交流していただろうか。
参考:
唯書房出品の『密教講演集』第一輯(密教青年会・新密教社、大正9年1月) - 神保町系オタオタ日記
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*1:初出は、『六大新報』816号,大正8年6月~821号,大正8年7月