神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

桜井小太郎が設計した日本最初期の鉄筋コンクリート造住宅としての和田維四郎邸

以前ジュンク堂の怪人さんが「大坪砂男の父、和田維四郎の邸宅の設計者はだれなんだろう? | ジュンク堂書店日記」で言及していた和田維四郎の住宅。「日本最初の本格的洋風個人住宅」だったらしいが、ググッたら設計者が判明。「材料からみた近代日本建築史 その5 鉄筋コンクリート|特集記事資料館|建設総合ポータルサイト けんせつPlaza」で、和田邸は桜井小太郎が設計した日本最初期の鉄筋コンクリート造住宅だという。桜井についてはWikipediaに立項されているので、詳しくはそれを見られたい。大正2年海軍技師を退官して三菱合資会社地所部に採用されているので、「二人の蒐集家赤星五郎(赤星鉄馬の弟)と赤星陸治を繋ぐ柳田國男 - 神保町系オタオタ日記」で紹介した赤星隆治の部下ということになる。なんか皆繋がってくるね。桜井は、横浜正金銀行神戸支店(現神戸市立博物館)も設計している。
この和田邸だが、高橋箒庵の日記『萬象録』巻7に出てきた。いやはや、どれだけ恐ろしい日記だ、これは。

(大正八年)
七月十三日 日曜日 晴
[和田維四郎氏住宅]
午前九時、牛込薬王寺町和田維四郎氏宅を訪ひ、先般氏の口添へに依り酒井忠道伯家茶器拝見の謝礼を述べたり。氏の住宅は全部鉄筋コンクリートにて造作は日本西洋合の子の趣向面白く、洋風椅子、テーブルの間に日本床ありて探幽斎筆龍頭観音を掛けられしが、黒龍の上に白衣観音図無類の出来にて表具も極めて結構なれば、如何にして斯かる名幅を得られしやと聞きしに、是れは久原房之助氏より貰ひ受けたるなりと云ふ、さもありなむ。(略)又故藤田伝三郎氏より度々掛物を貰受けたる其数十二幅に達せしが、大半偽物にて真正なる者は只二幅に過ぎず(略)

和田は鉱物学者で、蒐集家としても著名である。「NIJL 蔵書印データベース」では雲村文庫印など3件ヒットする。住居も当時としては相当凝った造りだったようだ。