神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

岡田播陽の生年


岡田播陽については、林哲夫氏教示の岡田誠三『自分人間』に詳しい。「播陽が二十八歳の明治三十四年(一九〇一年)に播磨屋を開店」とあり、明治6年生まれらしい。しかし、若干の疑問が生じてきた。貴司山治の日記*1によると、

昭和13年2月8日 夕方吉安君と一緒に、日本橋畔ブラジル館で開かれた岡田播陽先生の会に行く。先生に逢ふのは十年目である。七十才になられた由、その顔貌は二十年前に初めて逢った頃と殆ど変ってゐない。三十分間ばかり、五十人余の会衆にテーブル・スピーチをする。八時半に辞去し、高橋誠之、大久保恒次の二君と、会場で之も十年目に再会した豊島欽爾君もさそって戎端の松亭で会食。


昭和13年の時点で、65歳ではなく70歳だったのだろうか。実年齢と戸籍上の年齢の違いかもしれないが、よくわからない。


(参考)一昨年9月18日


追記:岡田は跡見花蹊の日記明治43年9月22日の条にも出てくるので記録しておこう。

大阪心斎橋筋一丁目岡田播陽氏之使として市来正吉氏、画之依頼及画事ニ付て種々懇願致されたり。

*1:浦西和彦貴司山治「日記」(四)」『国文学』86号、関西大学国文学会