『京古本や往来』特別号のキクオ書店前田司「「古書研」の誕生」によると、
30年前の12月*1、「文車の会」会員だった臨川書店の久保田厚生*2のお膳立てにより、京都に研修旅行に来ていた弘文荘反町茂雄らと京都の若手との交流会が開催された。しかし、それは実際には交流会というよりも反町の独演会であったという。そこで、反町はかつて京都は書物文化の中心を担っていたが、戦後の京都の古書業界の凋落は甚だしいと痛烈に批評した。
「それはまさに正鵠をついているとはいえ、東京の人に言われると京都人として黙っておれぬ」ということで、6名の古書店主らが集まる。これが、「京都古書研究会」の発足、『京古本や往来』の発行、「古本まつり」の開催へとつながっていくことになる。反町の言動は、しばしば批判されることも多いが、sumus同人や書物奉行氏(今回、こ〜そり来ていたみたい)、ma-tango氏、そして私が、下鴨神社や知恩寺の古本まつりでオタオタし、また、森見登美彦氏が古本まつりを舞台にした小説を書けるのも、反町の残した遺産と言うべきもののお陰なのであった。
(参考)前田氏は、「大きなソロバンをお持ちなさい−京の若手古書業者への言葉−」『弘文荘反町茂雄氏の人と仕事』(文車の会、平成4年9月)では、
「昭和の初めの頃までは、とくに和本の世界では東西の力は京都を含めた西の方が強かったが、それ以後は東京の力が増している。なかでも、目録を出さぬ京都の業者の衰退ははなはだしい」と反町氏の鋭い洞察からのご指摘は京都人にはカチンとくるのである。アンチ東京がアンチ反町になってしまうのである。(略)
京都人気質が反町氏との密なる交流にいくらかのわだかまりを作ったとはいえ、氏からいただいた言葉の一つ一つが、京都古書業界の振興の起爆剤、活性剤であったことは確かである。
とも書いている。