神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

平楽寺書店の井上四郎に倭点法華経を売った反町茂雄

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 大正2年に12代村上勘兵衛から営業権を譲り受け平楽寺書店を興した井上治作は、昭和30年に亡くなる。後を継いだのが、井上四郎である。ここに弘文荘の反町茂雄から四郎に宛てた書簡が3通ある。平成29年に平楽寺書店の土蔵が取り壊された後、出回った書簡群の一部である。私が見たのは戦後のものばかりだが、戦前の書簡も流出しただろうか。
 3通のうち、1つは昭和39年5月開催の「三都古典連合会主催古典籍展観大入札会御案内」である。残る2つが昭和35年11月開催の東京古典会創立五十周年記念大市会に関わるものである。大市会の委員長は反町であった。同年12月1日付け速達では、法華経巻第8、応永31年刊南禅寺版(?)について、兜木から連絡があったが、今なら落札値の7万3千4百円で差し上げる旨返事をしておいたとある。兜木は、平楽寺書店から『法華版経の研究』(昭和29年1月)を刊行した兜木正亨だろう。四郎を通して入札を頼んでいた兜木が、落札者である反町に直接連絡をしてしまったのに対して、反町が四郎に連絡をしたものだろうか。そして36年2月14日付け書簡では法華経8巻代の受領証を同封して送る旨が書かれている。
 倭点法華経がどれ程の価値があるかまったく知らないが、落札値で売っても反町には何の儲けにもならない。一種の先行投資だろうか。『弘文荘反町茂雄氏の人と仕事』(文車の会、平成4年9月)の「反町語録」に、小野沢うばら(国立国会図書館)は「私は、その資料を本当に必要としているお人には、いつも心易くお貸ししています」を挙げている。反町が本当に貸していたのか知らないが、商売気抜きの時もあったのだろう。
 反町は、昭和2年3月東京帝国大学法学部政治学科卒業*1。「反町語録」には田島光男が聞いた「私は国史(日本史)を専攻したかったのです」という言葉も載っている。反町が国史を出ても、おそらくは「一古書肆」として成し遂げた功績を超えるものは残さなかっただろう。なお、同年国史学科を卒業した者に羽仁五郎がいる。
参考:「明治期京都における出版界の日蓮主義者、平楽寺の村上勘兵衛 - 神保町系オタオタ日記
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*1:同期に岩倉具栄、波多尚、美作太郎がいる。