神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

敗戦後昭和21年には日本に引き揚げていた藤澤親雄ーー『松本学日記』(芙蓉書房出版)で確認ーー

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 藤澤親雄の年譜については、「国際人藤澤親雄がトンデモに至る道 - 神保町系オタオタ日記」で作成したところである。小見山登編『創造的日本学:藤澤親雄遺稿 附諸家追悼・随想録』(日本文化連合会、昭和39年2月) 所収の「経歴年譜抄」が当てにならないので、他の文献で確認できる事績を中心に作成した。同年譜抄にある中国からの引き揚げ年、昭和22年は本人か家族から聴いたのだろうと推定したものの、採用はしなかった。その後、一昨年12月に開催された「吉永進一の日本オカルティズム史講座(第3回)」で昭和21年5月藤澤が日本で活動していたことが紹介されて、驚いた。残念ながら、詳しい内容は失念してしまった。
 今回、尚友倶楽部・原口大輔・西山直志編『松本学日記〈昭和十四年~二十二年〉』(芙蓉書房出版、令和3年6月)にも、昭和21年における藤澤の動向を発見した。

(昭和二十一年)
七月二十七日 土
午后二時より工業クラブ講堂にてドクター・ワーナー氏の講演会をCECにて催す。宣伝不十分の為め聴衆は五十名位なり。然しいかにも落付いたよい会合だった。ワーナー氏も腰かけたまゝいゝ気持で話された。藤沢親雄君が翻訳した。よい話だった。

 「CEC」は、同年3月21日の条によると松本が創設した「Cultural Exchange Club(文化交流倶楽部)」である。藤澤がいつ引き揚げたのかは不明であるが、おそらく引き揚げ後間もない時期から色々活動していたことがうかがえる。 
 近年、「上西亘「藤澤親雄の国体論ーー戦前期を中心にーー」『昭和前期の神道と社会』への補足 - 神保町系オタオタ日記」で言及したように藤澤に注目する人が増えてきた。『立命館大学人文科学研究所紀要』129号、令和3年12月に「「国際的民本主義」から「人類の祖国日本」へ:藤澤親雄の国際秩序観」(CiNii 論文 -  「国際的民本主義」から「人類の祖国日本」へ : 藤澤親雄の国際秩序観)が掲載された中井悠貴氏もそうである。論文に先立つZoomでの発表によると、学部生の頃から藤澤の事を調べていたそうで、頼もしいかぎりである。引き続き戦後も含めた藤澤の全貌に迫っていただきたいものである。
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